蜘蛛の旋律・64
「薫の小説にはその物語が西暦何年の話なのか、割にはっきり書いてあることが多いんだ。もちろんそうじゃないこともあって、割合としては半々くらいになるのかな。僕やシーラは大雑把に言えば同じシリーズの登場人物だ。このシリーズにはだいたい葛城達也が登場するか、しないにしても名前くらいは出てくるから、彼のその時の年齢から物語の年代を推測することができる。当然登場人物の年齢も計算できるね。その計算でいくと、僕はシーラよりも2歳年上になるんだ」
 アフルの話でオレが思い出したのは、アフルの小説の中でのある事件が、シーラの小説の中では3年前の出来事として語られていたことだった。アフルは17歳。シーラは18歳。その計算だと、確かにシーラの方が年下なんだ。それなのに、今この野草の下位世界では、物語当時の年齢で2人とも存在していることになる。
「野草のキャラクターは現実世界では成長してなかったって事なのか?」
「それが違うんだ。僕たちは確かに『その時代』に存在していた。僕が出てくる話にはもう1つ、近未来の話もあるんだけど、その時僕は34歳で、風景は確かに今より未来の世界だったよ。僕たちは、君達がいる上位世界の中で、時間を超えて存在していたんだ」
 要するに、野草のキャラクターは、未来や過去にタイムスリップしていたって事なんだ。
 そして、野草の下位世界は、そのすべての時間に影響を与え続けてきたことになる。
 野草は人の記憶や過去だけではなく、未来すらも操っていたんだ。
「で、葛城達也の話に戻るけど、薫は彼の物語を、10歳から11歳まで、14歳、27歳、30歳、40歳、44歳、50歳……その後もずっと、数え切れないほど書いてるんだ。だから、葛城達也は物語が書かれるたびに、まったく違った年齢で、時代で、場所で、数え切れないほど実体化していたということになる。葛城達也は薫の下位世界が現実世界と分離した時、11歳の姿で現われたんだ。理由は簡単だ。薫は11歳の葛城達也の物語をまだ完成させていなくて、事故に遭う前日までその物語の続きを書いていたんだ」