蜘蛛の旋律・63
 アフルが出てくる小説は、主人公が伊佐巳という15歳の少年で、相手役の少女が16歳のミオだった。伊佐巳とミオは義理の姉弟にあたる。その2人の義理の父親として出てくるのが、27歳の葛城達也だった。
 物語は、ずっと2人の少年少女を追っている。葛城達也は時々画面に登場して、物語をかき回してゆく。絶大な力を持った超能力者で、一言で言えば異常な人間だった。人を人とも思わない冷徹さと異常な暴力、性行。彼の存在ゆえに主人公の2人は人格を歪められてゆく。葛城達也率いる反社会的な組織に関わって、ほぼ日常的に犯罪を犯していた。
 アフルも同じ組織の一員だ。小説のラストシーンでアフルは、ミオの自殺を見届けた1人になった。だけど、アフル自身は単なる脇役なんだ。アフルもだし、それに、葛城達也だって完璧な脇役だったんだ。
 シーラに教えられたあのときには気付かなかった。他の物語はすべて主人公が自我を持ったのに、この物語に限ってだけは、主人公ではなく脇役の2人が自我を持ったのだ。
 自我を持つか持たないかが野草がどれだけ感情移入できたかで決まるのなら、なぜ伊佐巳ではなくアフルや葛城達也だったのだろう。
「……ああ、そうか。巳神君は、薫が書いた小説を全部知ってる訳じゃないんだね」
 アフルが言って、オレは理解した気がした。27歳の青年ではなく子供の姿をしていた葛城達也。野草はおそらく、葛城達也が子供時代の小説を書いていたのだ。
 ……そうだよな。作者にものすごく気に入ったキャラクターがいたとしたら、いろいろな小説の中で何回も登場させることだってあるんだ。続編とか、シリーズとか。その中では子供だったり大人だったりすることだってある。葛城達也は、オレが読んだ小説の中で、たまたま脇役だったに過ぎなかったんだ。
「葛城達也は今は子供の姿をしていたってことか? それとも、たくさんの葛城達也が存在するのか?」
「1人しかいないよ。自我を持った瞬間は、彼は子供だったんだ。……やっぱり最初から話してあげないとダメみたいだね」
 そう言ったアフルは、前にシーラがオレを「どちて坊や」と呼んだ時と、同じ表情をしていた。