蜘蛛の旋律・55
「次は9時半ですけど……私、もう30分くらい待ってるのに、前のバスも来なかったんですよ。9時にくるはずだったのに」
 女性は受け答えもちゃんとしていたし、言っていることもおかしなことはない。もしかして……この人は野草のキャラクターじゃないのか? だけど普通の何の関係もない部外者が、野草の下位世界に存在したりするのか?
 少し確かめてみたくて、オレは更に女性に話し掛けた。
「夕方、向こうの路地で爆発事故があったの、知ってます?」
 バスを待っている間の退屈しのぎに世間話を始めたと思ったのだろう。女性は少し表情を緩ませた。
「夜のニュースで見たよ。なんだか怖いよね。高校生の女の子が重態とか言ってたけど」
「その子、オレの同級生なんですよ。テレビで名前言ってました?」
「言ってたけど覚えてないな。……そう、君、その子の同級生なんだ。心配だね」
 野草のことでもまったく反応を見せなかった。たぶん、この人はシーラのような、すべてに気付いた野草のキャラクターじゃない。オレが知らない野草のキャラクターなのか、それとも本当に無関係な人なのか。それは判らないけれど、この人は本当に何も知らないんだ。
 よく考えればオレだって無関係な人間なんだ。オレを野草の下位世界に呼んだのは黒澤弥生。この人も黒澤が呼んだのだろうか。どちらにしても、オレはもう一度黒澤に会う必要がありそうだった。
「あの、たぶん、ここで待っててももうバスきませんよ。オレ、走って帰ることにします。あなたも諦めて歩いた方がいいかもしれないですね」
 たとえ無事に帰り着いたとしても、彼女の家族はこの世界には存在しないだろうけど。
 オレは彼女の返事は待たずに、バス通りを西へ向かって走り始めていた。