蜘蛛の旋律・54
 本屋の前はほとんど路地と言っていいほど細い道で、たまに思い出したように街灯が立っている。今はその下に老人が気を失って横たわっていて、少し離れたところには例の包丁が落ちていた。はっきりした位置は判らないけれど、ここはオレが通学に使っている駅だから、方角くらいならば何とか判る。たぶん5分も歩けば駅のロータリーに出るはずだ。終バスは10時。ただし、動いていればだけど。
 前に財布を忘れて根性で走ったことがあったっけ。確か学校までノンストップで30分近くかかったんだ。なんだか本気でシーラを恨みたくなってきた。オレに足がないのは判ってたことなんだ。せめて野草の病院まででも送り届けて欲しかったよ。
 そこにそうしていても仕方なかったから、オレはたぶん駅だと思う方角に向かって歩き始めた。しばらく歩くと見慣れた景色が現われて、オレは念のため、毎朝乗っているバスの停留所に向かった。当然誰もいないだろうと思ったのに、バス停にはバスを待っているらしい人影があったのだ。近づいていくと、それが会社帰りのOLらしい1人の女性であることが判った。
 誰だろう。ここにいるのだから、彼女も野草の小説の登場人物だろうか。だけど、オレが今まで読んだ小説の中には、OLなんて出てこなかったんだ。野草の話は空想小説、どちらかといえばSFに近いもので、普通のOLが出てくるチャンスなんてめったになかったから。
「あの、すみません」
 本屋の爺さんの例もあったから、オレはかなり警戒しながら声をかけた。振り返った女性はオレを見たけれど、特におかしな反応は見せなかった。
「はい、なんですか?」
「バスを待ってるんですよね。次のバスは何時ですか?」
 少し顔を赤くした女性はどうやら職場の飲み会帰りといった感じで、ちょっと不審そうにオレを見上げているほかは、普通と変わった様子はまったくなかった。