蜘蛛の旋律・56
 以前学校まで走ったときも遠いと思ったけど、やっぱり駅から黒澤のアパートまではかなり遠かった。
 たぶん3、4キロはあったと思う。周りに車がいないことだけが唯一の慰めで、オレは信号も無視して約15分ほど駈け通し駈けていった。
 それでやっと、アパートの玄関前まで辿り着く。呼び鈴を押して黒澤を呼び出している間、オレは乱れた息を何とか整えた。やがて顔を出した黒澤に話し掛けようとしたところ、タッチの差で先を越されたんだ。
「あたしはどこぞの占い師みたいに、困ったときはいつでもおいで、なんて言った覚えはないんだけど」
 オレはなんだか本気で腹が立って、上目遣いに睨みつけている黒澤に負けじと睨み返して言ったんだ。
「あんたが書いてる小説だろ! 放置自転車の1つも置いとくとか、誰かに迎えに来させるとか、何とかできなかったのかよ!」
「うるさいね。あたしはいつでも真剣勝負で小説書いてるんだよ。こっちだってあんた達に振り回されっぱなしなんだ。シーラだってほんとはもう少し物語の中に留まってて欲しかったのに勝手に消えちゃうし。巳神は薫の居場所突き止められそうな気配はぜんぜんないし」
 一言怒鳴りつけたせいか、黒澤の言葉を聞いたせいかは判らないけれど、オレはずいぶん落ち着いてきた。
「黒澤、あんたの小説って、そんなに自分の思い通りにならないのか?」
「ならないよ。っていうか、小説って実際にキャラが動いてくれないと、細かいストーリーが決まらないんだ。最後にどうしたいかくらいの目標はあるけど、そこに到達させるために作者がやることって、あっちにニンジン吊るしたり、こっちで野犬に吠え立てさせたり、要するにそんなことなの。あんたが自分で動かなかったら、この小説いつまでたっても終わらないんだから」
 つまり黒澤は、オレが行動したことを小説に書きとめているだけの、いわゆるただのワープロだってことらしい。