蜘蛛の旋律・53
「巳神には判らないよ。……人を好きになったことのない巳神には、ぜったい判らない」
 シーラはオレを見つめたまま、諦めたような、オレを哀れんでいるような声色でそう言った。オレは何も言うことができなかった。確かにオレは、現実の人間に恋をしたことなんて、今までなかったから。
「巳神が言ってること、理屈では判るよ。今あたしがタケシの傍に行ったところで、なにもできないしなにも変わらない。でも、理屈では判ってても、あたしは今タケシのところに行きたいの。……だってあたし、タケシにまだ何も言ってないんだ」
 オレが読んだシーラの物語。2人は互いの気持ちを確かめられないままで、物語は終わっていた。たぶん野草は続編を書くつもりでいたのだろう。読んでいるオレには2人の気持ちははっきり判っていたのに、2人だけが、互いの気持ちを知らなかった。
 もしもオレに好きな人がいて、あと数時間で世界が終わるとしたら、オレも最期の時をその人と過ごしたいと思うのだろうか。
 オレは今、シーラと一緒にその時を過ごしたいと思い始めている。
「巳神には判らない」
 シーラは再び言って、オレから離れた。
「あたしの気持ちも……あたしにそんな苦しみを与えた薫の気持ちも」
 けっきょく一言の反論も許さないまま、シーラは駆け出していった。うしろ姿を見送る。オレはタケシに負けたのかもしれない。胸がチクチクと痛んで、その情けなさに涙が出そうだった。
 だけど、心を落ち着けて冷静にあたりを見回したとき、オレは自分がとんでもないところに置き去りにされたことに気付いたのだ。