蜘蛛の旋律・50
 それにしても、この老人はどうしていきなり襲ってきたりしたのだろう。シーラによれば、自我を持たなかったキャラクターは小説の通りに行動していたはずだ。この老人が小説に書かれたことはなかったけれど、野草の持つ古本屋の主人のイメージが、突然包丁で襲い掛かるなどというものではないことくらいは想像できる。老人は明らかに様子がおかしかった。まるで誰かに操られてでもいるみたいに。
 倒れている老人から目を離して、少し遠くに立っているシーラに視線を戻した。その時シーラは目を伏せて、何かを考えているように見えた。
「シーラ、あの……」
 そして、オレは見たのだ。振り返ったシーラが、あの老人とまったく同じ雰囲気を醸し出している。上目遣いでオレを見据え、奇妙な薄笑いを浮かべているところを。
「シーラ……?」
 ぎこちない仕草で、シーラはオレに近づいてきた。心臓がドクドク鼓動を伝えてくる。まさか、シーラも老人と同じになってしまったのか? 見えない誰かに操られて、オレを殺そうとしているのか……?
 知らず知らずのうちに、オレはあとずさっていた。さっきまでオレの足元にあった、老人の包丁。距離を詰めてきたシーラは、ゆっくりとした動作で包丁を拾って、刃先を動かす。狙っているのは、オレの心臓。
「……あたしでない異質なものは、排除しないと……」
 にやりと笑って突っ込んでくる。包丁をオレの心臓に合わせて、機敏な動作で。
 逃げられる訳がない。彼女の方が動作も素早く、明らかにこういうシチュエーションに慣れているのだから。

 懐に飛び込んできたやわらかい身体に押されて、オレはうしろに倒れこんだ。
 オレは、殺されてしまった。