蜘蛛の旋律・44
 野草がなぜ死にたがっているのか、オレはなんとなく納得していた。野草は自分の下位世界が現実に影響を与えていることを知って、そのことに絶望したんだ。だけど、例えばオレが思った通りだとして、オレは野草に生きる希望を与えることができるのか? 野草が小説を書くことをやめない限り、野草の下位世界は現実に影響を与え続けるのではないのか?
 野草に書くことをやめろと言うのは、死ねと言っているのと同じ事じゃないか。
「……そうか、野草のキャラクターの中には、野草を助けたい奴と、野草を殺したい奴とがいるんだな」
 そして、そのどちらも、野草を好きな気持ちはまったく同じなんだ。
「信だって本当は薫に死んで欲しいなんて思ってないよ。だから、あたし達が薫を説得できる材料を持ってれば、必ず味方になってくれる。巳神が薫を説得してくれさえすれば」
「説得、ね。たとえ今オレが野草と話せても、説得するところまでは無理そうだな」
「諦めるつもり?」
 シーラの口調がきつくなって、オレが顔を上げると、シーラはまるで挑発するような目でオレを見つめていたのだ。
 すごく綺麗な瞳だった。完璧なまでに整った顔立ちの美人が、宝石のような瞳でオレを見つめていて、唇の端が微笑むように僅かにつり上がっている。野草が生み出したキャラクターは、オレの精神の核を貫くような魅力を持っている。
 彼女が存在するのは小説の中だ。だけどオレは、そんな小説の世界に魅了されてきた。子供の頃から、作者が描くフィクションの世界に入り込んで。
 シーラは存在している。現実に生きる誰よりも鮮明に、存在し、生きている。
「まだ諦めてないよ」
 オレはそう返答するのが精一杯だった。