蜘蛛の旋律・38
 オレは呆然と空を見上げていた。空中には2人の人間が浮かんでいたのだ。それはぜったい見間違いなんかじゃなかった。2人のうちの1人は、オレがこの世界で最初に出会ったアフルストーン、通称アフルだったのだ。
 目を凝らしてみると、宙に浮いた1人はひたすら逃げていて、もう1人のアフルがそれを追いかけているように見えた。逃げている人間が誰なのかはよく判らない。ただ、アフルとの対比から、かなり身体の小さな人間であることだけは判った。
 性別もよく判らないけれど、逃げているのはもしかしたら子供なのかもしれない。一瞬野草本人かとも思ったけど、どう見ても野草より小さかったし、アフルの追撃を軽やかにかわしていく身のこなしは、普段の野草とはあまりにかけ離れていた。野草は文科系で、同じクラスになったことはないけど、体育の成績が振るわないだろうってくらいは想像できる。ここが野草の夢の中ならどんなことが起こってもおかしくはないだろうけど。
 追いかけるアフルと、追いかけられている子供のような人間は、しばらく攻防を繰り返してやがて建物の陰に隠れて見えなくなった。少しの間、再び現われないかと見守ってみたけれど、どちらにしても空中にいる人間相手にオレが何かできる訳もなかったから、オレはシーラを促して、病院の駐車場に車を移動させた。
 意味の判らない光景。今、この世界にいるのだから、あの子供も野草のキャラクターの1人なのだろう。判らないことは考えても仕方がなかった。隣のシーラもどうやらそう思ったらしかった。
 気分を変えるように息をつくと、シーラは言った。
「弥生が言ってた下位世界の話ね、あたしがそれに気付いたのって、薫が事故に遭ったあの時だったの」
 オレはちょっと驚いて、シーラの言葉に耳をそばだてた。