蜘蛛の旋律・32
 黒澤弥生はオバサンだ。外見は20代後半くらいに見えるし、もしかしたらもっと若いのかもしれない。いってたとしても32〜3がいいとこだ。だけど、この女はオバサンだ。
 シーラの小説を書いたのは本当にこいつなのか? この女が、あんなに魅力的なシーラを書くことができたのか?
 オレの心境を知ってか知らずか、黒澤はフロントガラスの向こうを見つめながら話し続けた。
「ムッとしてんじゃねえよ。まあ、好きな人がいないんだったらしょうがないか。巳神、ちょっと想像力を働かせてよ。例えば巳神に好きな女の子がいたとして、その子に振り向いてもらいたいな、自分を好きになってもらいたいな、と思ってたとするよ。だけどそれなりの行動したり、告白したりはしていない。その状況で、もしも相手も自分を好きなんだってことが判ったら、どう思う?」
 オレはすっかりやる気をなくしていたのだけれど、そう尋ねられたから、しかたなしに答えていた。
「偶然だ、よかったな、ラッキー、……じゃないの? やっぱ」
「それが普通だね。宝くじを買って、引き出しにしまい忘れてたんだけど、ある日ふと見たら100万円当たってたとしたら?」
「オレってついてるじゃん。で、本屋に走って全集買いまくる」
「全集か、らしいね。電車に遅れそうで必死に走ってたところ、電車の到着が2分遅れてたとしたら?」
「きっと神様がオレのために電車を遅らせてくれたんだな」
「それじゃあさ、……小説に登場させる電車が新都市交通なんて名前で知名度がなくて、モノレールの方が判りやすいからそう書いたら、次の日現実の新都市交通がモノレールに変わってたとしたら?」
 ……なんだって……!
 オレは絶句したまま、何も答えられなかった。