蜘蛛の旋律・16
 足音はオレの予想を大きく上回る速度でこの部屋に近づいてきていた。だからオレは何の心の準備もできなかった。突然に部屋のドアが開いて、驚いてドアを見ると、飛び込んできたのは思わず目を見張るほどの美人の女だったのだ。
 年は20歳くらい、綺麗に化粧したその表情はいくぶん憔悴して見えはしたけれど、その目の美しさがすべて帳消しにしている感じだった。女の方もオレを見て少し驚いたようだった。だけどさほど表情を変えず、少し怒ったような口調で言ったのだ。
「信、あなただけなの?」
 オレはあっけに取られて何も言えなかった。オレはこの女性に会ったことがあったか? まさか、過去にこんな美人と会っていたらぜったいに忘れたりしない。まして、オレのことを「信」なんて親しげに呼ぶような、そんな関係であるはずがない。
 オレが返事をしなかったことはそれほど気にならないらしかった。すぐに女は視線を外して、野草が寝ているベッドへと近づいていった。
「薫……どうしてこんなこと……」
 まるでさっきの出来事の再現を見ているみたいだ。さっき、アフルが同じように野草に呼びかけた。だけど、彼女は野草に触れたり、涙を流すようなことはなかった。しばらくじっと見つめていたけれど、やがて表情を硬くして、オレに振り返った。
「信! あなたは知っているの? 薫はどうしたら助かるの?」
 ……まただ。オレはその質問がかなり間抜けであることは判っていたのだけれど、それ以外の言葉を見つけることはできなかった。
「あの……あなたはいったい……」
 その質問が彼女に与えた衝撃も、そうとうなものだったらしい。しばらくオレを見つめたまま絶句したのだ。
「……もしかして……巳神、信市……? 片桐信じゃないの?」
 オレはまた彼女に驚かされていたけれど、どうやら彼女がオレと誰かを間違えたのだということだけは判った。