蜘蛛の旋律・10
 野草が運ばれた病院の集中治療室の前には、たくさんの医者や看護婦が行き交っているようだった。もちろんオレは、その部屋の前で待っていることは出来なかった。集中治療室の前には、長椅子などないのだ。オレは同じ階の少し離れた椅子にこしを下ろして、野草の様子を盗み聞きしていた。
 断片的に聞いた話では、全身に火傷がひどく、今夜が峠だという話だった。でも、まだ生きている。オレは野草のクラスメイトではなかったから、もちろん野草の家など知らないし、電話番号も何もかも判らなかった。家族構成も、果たして両親がいるのかさえ、それすら聞いたことがなかったのだ。1年半も同じ部活で一緒にやってきたってのに。
 オレは改めて思った。オレは野草のことなんて、少しも知っちゃいなかったって事を。病院の方から家には連絡が行っているはずだった。だけど、家族の人間は誰もこなかった。時間は既に、7時を回っていた。
 そしてもう1つ、オレが不思議に思ったこと。誰も、あの老人については、一言も話さなかった。病院に運ばれた形跡はなかったから、もしかしたら死んだのかもしれない。それにしても、警察も言わなかったし、遺体が運ばれた形跡すらなかったのだ。逃げたのだろうか。いや、その可能性はない。オレが見た爆発の瞬間の映像では、爆発したのは老人のまうしろだったのだから。
 オレの身体も無事じゃなかった。コンクリートに打ちつけられた身体は打ち身で鈍く痛んだし、その時に頭も打ったので、精密検査が必要だった。今日は入院して明日検査をする予定だけど、オレは今、野草から離れる気はしなかった。病院が用意してくれたベッドを抜け出して、廊下の長椅子に座っていた。看護婦も、野草の彼氏だとでも思ったのか、オレの行動を黙認してくれていた。オレはこれでもけっこう気にしていたのだ。野草がこんな目にあったのは、半分はオレのせいじゃないかってことを。オレが今日、本屋に行きたいと言わなければ、こんな爆発に巻き込まれることなんて、なかったんじゃないかって。もしかしたら野草は、オレの代わりに死にそうなんじゃないかって。