記憶�U・90
 息を吐いて、そのあと大きく息を吸って気付いた。呼吸ができる。オレは無意識に腹筋に力を入れて身体を起こそうとした。身体はオレの意思に従って動いたし、痛みを感じることもなかった。腹を探る。突き破られた血染めの服をめくってみても、オレの身体には傷も、それが確かに存在したという痕跡も、ひとつもなかったのだ。
 まさか、あれは幻覚だったというのか? いや、流れた血は本物だった。口内にはまだ血の味が生々しく残っているし、服の前後に開いた穴も、真っ赤に染めているまだ乾ききらない血液も、すべて本物なのだ。
 奴はオレの身体を貫いて、また元に戻し、オレをこの場所に飛ばしたのだ。
 いったい何が起こった。奴はなぜオレを殺さなかった。奴は本当にオレを殺そうとしたのか? オレは奴を殺すことができない。もしかして、奴もオレを殺せないのか?
 オレには奴を殺す力がないことを、葛城達也は知ったはずだった。葛城達也が本当に死を望んでいるのならば、オレは奴にとって何の価値もない人間だ。ならばあのまま殺しているのが当然だ。あのときの奴は、おそらくオレを殺すつもりだった。だけど気を変えた。いったい奴はオレの中に何を見たのだろう。
 ……もう、考えても仕方ない。とりあえず今考えるべきことはそんなことじゃなかった。オレと奴とは近いうちに会うことはないだろう。オレはおそらく追放になったのだから。
 周囲に目を向けると、そこはオレが見慣れた風景だった。とはいっても、場所を特定できるわけではない。そろそろ夕日が沈もうとしている。四方八方、見渡す限り広がっているのは、この3年間放置され雨風に浸食された東京の瓦礫の海だったのだ。
 オレだけが追放されたのか、それともミオや、ボスとサヤカも同時にここに送り込まれたのか、そのあたりのことはよく判らない。だけどこのままこうしていても確実に餓死するだけだったから、オレは歩き始めた。人の気配を求めてどのくらい歩いただろう。オレは遠くに幾人かの人影を見つけて、少し警戒しながら近づいていった。
 向かい風が人の声を運んでくる。後ろ姿で立ち尽くしているのは、コロニーの指導者ボスだった。そして、その向こうに立ち、ボスに銃を突きつけているのは、ボスの側近、幼い頃からの親友であるはずの、駄蒙だったのだ。
 駄蒙はうしろに何人かの皇帝軍を従えている。やはり駄蒙は裏切っていたのか。実際にその光景を目にしてはいたのだけれど、オレはかなり意外で、信じられない気持ちでいた。