記憶�U・81
「私は、あの災害によって、葛城達也は妹に殺されたかったのだと思います。しかし妹は彼を殺しませんでした。そして災害後の日本を見たとき、彼は人々が指導者を求めていることを知ったのです。その求めに突き動かされて彼は皇帝になりました。しかし、自分を殺せる人間を求めているという彼の欲望のために、東京だけを隔離して、いずれ自分を倒す人物がその中から現われてくることを望んだのです。もちろんあなたの存在も頭に置いていたでしょう。事実、コロニーは2度の革命を起こし、葛城達也を殺そうとしました。……私は彼との会談で、彼の言葉を聞きました。たった一言だけです。「今でも俺を殺したいか」と」
 自分の命を存えさせたいと思わない人間に、他人の命の重さは判らない。生きたいという欲望のない人間に、他人が生きたいと思う気持ちは判らない。葛城達也には生きることのすばらしさも、魅力も判らない。欲望を持たない指導者。そういうことだったのだ。
 ボスの言う通りだった。葛城達也は今まで、他人の欲望に動かされ、自分の「死にたい」という欲望を満たそうとしていたのだ。オレが抱いていた葛城達也に対するさまざまな矛盾が、ボスによって解き明かされていた。なぜ、オレを殺さないのか。なぜボスを、ミオを殺さないのか。それはミオを愛しているからではない。オレたちが葛城達也を殺す可能性があるからなのだ。
 ミオの言うことが間違っているわけではない。ミオは確かに葛城達也の一面を捉えたのだろう。ミオが言う通り、今妹が奴の前に現われ、一緒に暮らしたいと言えば、彼は簡単に日本を見捨てる。だが、もしも彼女が一緒に死のうと言ったとしても、奴は言う通りにするのだろう。それは妹への愛情というよりも、妹が自分を殺せる人間だからなのだ。
「伊佐巳、葛城達也を殺すことは、本当に正しいのでしょうか」
 オレはボスの言葉に驚いて顔を上げた。
「正しくないとでも思うのか?」
「それが判らなくなりました。……駄蒙が、私を見捨てて葛城達也についたのだとしましょう。彼はなぜ、葛城達也を選んだのだと思いますか? 私には見出せない可能性を、葛城達也に見出したのではないでしょうか」
 ボスはやはり、駄蒙のことでかなりショックを受けているのだ。それでなければこんな迷いを表に出すようなボスではない。以前、ボスは言っていたことがある。駄蒙という人間でいるということは、どういうことなのだろうと。幼い頃から本名で呼ばれることを拒否し、駄蒙という名前を自分でつけてボスというキャラクターに尽くすというのは、いったいどういうことなのだろうかと。
「駄蒙がボスを捨てて奴につくことなんか、本当だと思うのか?」
「ありうることだと思いました。……葛城達也という人は、既に人間のことわりを超えています。私は彼に神を感じるのですよ。その力も、魅力も、残酷さも。人々はみな彼に神を感じているような気がします。ですから彼を崇拝し、彼のもとでは安堵と畏怖とを感じる。私は自分の中にそういった感情が芽生えていることを知って、愕然としました。伊佐巳、あなたは感じませんか?」
「オレは最初からあいつのことは悪魔にしか見えねえよ」
 ボスはほっとしたような、なんとも形容しがたい表情をした。
「……やっぱり、私はあなたのそういうところが好きです。判りました。私も駄蒙を信じることにします。私は彼が皇帝側につくよりは、死んで欲しいと考える人間です。駄蒙もそういうことは判っているでしょう」
 1つ間違えば、ボスは間違いなく独裁者になる。今の彼の言葉には、オレにそう思わせるものがあった。