記憶�U・80
「子供で、すら、ないのか?」
 子供だ、というのならあるいは判ったかもしれない。奴が自分の欲望に正直な子供だというのならば。
「そうです。私は以前からずっと、葛城達也と自分とを比較し続けてきました。私は自分が指導者として生まれついたのだと知っています。そのことは時々あなたにも話してきたことですから、理解していただいてると思います。私という人間は、ごく普通に生きている人間よりも、強い欲望を持っているのです。平凡な幸せでは満足できない。何もかもが欲しい。何もなくしたくはない。私は駄蒙の親友であることも、あなたの同志であることも、コロニーの人たちの指導者であることも、すべてを望んでいます。私にはすべてが大切で、すべてを欲し、すべてを選びます。ですからすべてを得るために行動してきました。コロニーの誰1人として不幸にならないように、誰もが平凡な幸せを享受できるように、それを阻む葛城達也という人間を滅ぼそうとしてきたんです。
 私は、葛城達也は独裁者なのだと思っていました。独裁者というのは、私と同じく強い欲望を持っていて、しかしひとたび得たものを維持する方法を間違えた人なのだと思います。人間は自分を幸せに導いてくれる人を指導者とあがめることはあっても、自分を押さえつける人間をいつまでも指導者にしておくことはありません。いずれ関係は破綻していきます。それを理解していないのが独裁者なのでしょう。
 でも、葛城達也は違います。彼は私や独裁者が持つ強い欲望というものを持っていないのです。それどころか、普通の人間が抱く平凡な欲望すらも、彼は持っていないのです」
 オレにはボスの言葉と葛城達也とを結びつけることができなかった。葛城達也は欲望を持たない、そんな言葉を信じられるはずがないのだ。奴はいつも自分のために人々を押さえつけてきた独裁者だったのだから。
「判りませんか。たぶん伊佐巳には判らないでしょうね。ミオは葛城達也は自分の欲望に正直に生きている人だと言っていたそうですが、それは正解のようでいて実は違っています。葛城達也は自分の欲望で動いているのではなく、人々の欲望によって動かされているんです。……ちょっと判りづらいですね。最初から説明しましょう。
 葛城達也という人は、幼少期は施設で暮らしていたということですが、その生活は普通の子供と何ら変わることはなかったといいます。確かに天才的に頭は良かったようですが。しかし10歳のときに自分の能力に目覚め、11歳で自分が死ぬことのできない身体だと知りました。そのときから、彼の中からは根本的な欲望がなくなったのです。それは「生きたい」という欲望です。自分の生命に対する執着を、彼は失ったんです。
 その後、彼は相次いで2人の兄弟と離別します。それからの彼は、私が先ほど言ったとおり、周囲の求めにしたがって生きているのです。彼の父である城河財閥の総帥が亡くなったとき、城河財閥に跡取はおらず、内部は混乱しました。それを治めることができるのは彼だけでした。彼はそのことを敏感に察知して、半ば乗っ取るような形で城河財閥の総裁になったのです。……伊佐巳、あなたは不可解だと思ったことはありませんか? 彼はなぜ地球が災害に襲われることを黙って見過ごしたのでしょう。この災害は葛城達也の妹が起こしたものです。ミオが言っていたことなのですが、おそらく間違いないはずです。その時、葛城達也には妹の行動を止めることもできたはずではないですか? それなのに彼は妹に災害を起こさせ、今は妹のためと称して日本を作り直そうとしている。ミオは納得しているようですけれど、私には余計に矛盾が見えてしまうのですよ。……私には、彼が死にたがっているようにしか見えません。彼に今欲望があるとすれば、「死にたい」ということ、ただ1つなのだと思うのです」