記憶�U・74
 牢の中の独特の臭いも、昆虫の大群も、サヤカはまるで気にならないようだった。オレの前に膝を立てて座り、顔を覗き込む。こうして近づけばサヤカの顔も少しは見ることができた。年齢よりも少し大人っぽく見える、ほっそりとした美少女だった。
 3年前の面影は見つけることができなかったけれど、ミオとは違って髪を短くしていたことだけが、オレに13歳だったサヤカの名残を感じさせた。
「ミオと葛城達也とは何かあったのか?」
 オレが訊くと、サヤカはにこりともせず答えていた。
「何もなかったわ。ミオがいつもと同じように伊佐巳の様子を皇帝に伝えて、伊佐巳の部屋に戻ったらあなたは姿を消してたの。一瞬逃げたのかと疑ったみたいだけど、パソコンがつけっぱなしになってたから、きっと何かあったんだって、すぐにあたしのところに駆け込んできた。あたしはミオのように自由にあちこち移動できるわけじゃないのだけど、この牢屋にくることだけは許されてるの。だからあたしがここにきて、あなたを見つけたんだわ」
「ミオはここにこられないんだな?」
「ええ。葛城達也が許さなかったの。あたしがボスに会うために許しをもらうことはできたけれど」
 なるほど。オレが記憶を失っている間の5日間に、サヤカはボスに会って指示を受け、それをミオに伝えてミオがコロニーのみなに知らせるというようなネットワークを、この2人は作り上げてきたのだ。
「さっき、オレを駄蒙と間違えたね。やっぱり駄蒙はここにいたのか?」
「昨日まではね。今日の午前中にあたしが来たときにはもういなかったの。他の牢もくまなく探したけど、駄蒙はいなかったわ。……もう殺されてしまったのだと思う?」
「いや、おそらくまだだろう。オレたちに何も知らせずに殺すとは考えにくい」
「伊佐巳がそう言うならそうかもしれないわ。……この場所よ。この場所であたしは駄蒙に言ったの。実のために死んで欲しい、って」
 目をそらさず、迷いも見せずに、サヤカは言った。ミオの言う通りだ。サヤカは強い。ミオに話を聞いていなかったとしたら、オレは彼女の中に多くの葛藤があっただろうことを見逃してしまっていたかもしれない。
「それで、駄蒙はなんて」
「憎らしいくらい駄蒙は無口な人よ。「判った」としか言わなかったわ。……あたし、絶対に皇帝を許さない。必ず皇帝を殺すわ」
 怒りの中に悲しみがある。だけどその悲しみを1つとして表面に見せることはなかった。もしも記憶を失ったオレの前に現われたのがミオでなく彼女だったら、オレは彼女に恋をしただろうか。おそらくオレは見抜くことができなかっただろう。この少女の優しさも、強さに隠された悲しみも。
「すぐにミオに伝えるわ。伊佐巳がここにいること。だけどその前に伊佐巳が訊きたいことや伝えたいことを全部話しておいて。次はいつ来られるか判らないから」
 オレは、とりあえず1番伝えたかった一言を、目の前の少女に言った。
「サヤカ、この3年間、ずっとミオの傍にいてくれてありがとう。ミオを助けてくれて」
 この時、サヤカはやっと笑顔を見せた。