記憶�U・73
 地下室の気温は暑くもなく寒くもなく、オレは今の季節が春なのだということを思い出した。窓はなく、木製のドアに小さな覗き窓のようなものがついていて、内側からは開けることができない。空気はかなりよどんでいた。染み出した地下水がたえず流れ込んでいて、それらが結露となって壁や天井、床をも濡らしている。おかげで衣服はすぐに湿っぽくなったし、得体の知れない苔や昆虫が繁殖していて、うっかりしていると全身うじ虫に纏わりつかれてしまいそうだった。
 必要以上に昆虫を恐れたり嫌ったりしている訳ではないけれど、とりたてて友好的に付き合いたいとも思っていないから、できることならそちらに近づきたくはなかったし、そちらから近づいて欲しくもなかった。オレは床のできるだけ湿っていない、おうとつの少ない場所を決めて腰掛けた。今のオレには考えることと待つこと以外許されていないようだった。
 ミオは、いったいどうしているだろう。オレがここに飛ばされたことを知っているのだろうか。おそらく知っているのだろう。オレが葛城達也によって瞬間移動させられた時刻は、ちょうどミオが奴と会っている時だったのだから。だけどミオをこんな場所に連れてきたいとは思わなかった。
 オレはもうミオに会えないのかもしれない。
 少なくとも、オレの処遇が決まり、追放になるまでは。
 おそらくこのまま餓死させるつもりはないだろうから、そのうち食事を運んでくるなり何かしらの動きがあるだろう。オレはその変化を待ちながら、さっきパソコンの画面にあった「処分」の意味を考えようとした。
 葛城達也が駄蒙を殺すことは奴の中では決定事項なのかもしれないけれど、それは本来みせしめでなければ意味がない。オレたちコロニーに対してと、民衆に対してだ。民衆はオレたちが呼びかけたこともあって、事の顛末を知っている者が多い。駄蒙を殺すことで民衆の決起を抑えることを、葛城達也は望んでいるはずなのだ。
 それでなければ駄蒙が死ぬことに意味はない。こっそり処分されたのでは、誰も死ななかったのと同じなのだ。だから今の段階で駄蒙が死んでいるはずはない。オレは駄蒙を救う手立てを考えることができるだろうか。
 オレはまた何か間違いを犯しているのかもしれない。オレの浅い考えでは、葛城達也を見抜くことができないのかもしれない。
 どのくらい考えつづけていただろう。自分に沈み込んでいたオレは、その足音を聞いて現実に引き戻された。足音はまっすぐこの牢を目指している。やがてドアの前で足音は止まり、その声がしんとした牢の中に響いてきた。
「……誰かいるの? ……駄蒙? 駄蒙なの!」
 声は廊下に反響して聞き分けることができなかった。だけどそれが若い女の声なのだということは判った。
「誰だ? ミオか?」
「……もしかして、伊佐巳パパ?」
 声の主はどうやらカギを持っているらしく、ガチャガチャ音を立ててやがてドアを開けた。伊佐巳パパと呼びかけられた時から声の主の見当はついていた。姿を現わしたのは、暗闇でよくは見えなかったが、少なくともミオではなかった。
「伊佐巳、伊佐巳ね!」
「……サヤカか?」
「そうよ。……ああ、ここにいたのね。ミオが半狂乱になって探してたからもしかしてと思って来てみたの。ここにいてくれてよかった」
 ミオよりも背の高い、すらっとした少女は、なんのためらいもなく牢の中に飛び込んできていた。