記憶�U・70
「でもね、それからしばらく経って、気付いたの。うちには確かにママはいない。でも、パパの中にはちゃんとママがいるんだって。パパはずっとママのことを好きなんだ、って。……ほんとにたまにだったけど、パパはあたしを見て、ママに似てるって言った。顔つきが似てきたとか、ちょっとした表情がそっくりだとか。今ならあたりまえなんだって思うけど、その頃のあたしは、ママに似ているのが嫌だった。……知らなかったよね」
 ミオの話す昔話は、オレには心当たりのないことばかりだった。ミオがオレの言葉で傷ついていたことも知らなかった。この子が勝美に似ているのはあたりまえなんだ。勝美の遺伝子をそっくり受け継いだ、勝美のクローンなのだから。
「オレはそんなに勝美のことをミオに話していたのか?」
「ううん。あんまり話さなかった方だと思うわ。でも、たまには話してくれて、勝美はいつも髪を短くしていたとか、あんまり女の子らしい服装をしなかったとか。そんなことを聞くたびにあたし、髪を伸ばしたり、スカートをはいたり、できるだけママに似ないようにしていたの。パパがママを思い出さないように、あたしとママを比べないように。あたし自身を見て欲しかったのかな。いつからか、そんなことをしてもパパのお嫁さんにはなれないんだって、判ったけど」
 ミオの幼い頃の心の動きは、もしかしたら小さな女の子にはよくあることだったのかもしれない。ミオを育てているうちに、オレの中の勝美の輪郭は、少しずつ失われていった。そもそも勝美はたった2週間しか傍にいなかったのだし、オレは勝美の恋人ですらなかった。たった一度、キスをして、怒られたけど、勝美はたぶん恋も知らないくらい幼くて、ぼんやりしていて、自分の回りの環境を受け入れることだけで精一杯だった。
 記憶が戻ったとき、オレはミオを思い出した。だけどオレは本当のミオを半分も知らなかったのかもしれない。ミオが勝美と違う人間なのだと頭では判っていたはずなのに、オレはミオを1人の人間として見ていなかったような気がする。オレはミオを育てていたのではなく、勝美の子を育てていたのだ。
 幼いミオは無意識に感じていたのだろう。勝美の亡霊がミオを縛っている。そうさせてしまったのはオレなんだ。
「ミオ、お前は勝美には似てないよ。確かに顔はよく似ているけど、オレは今ミオを見て勝美を思い出すことはない。オレにとって、この顔をした16歳の女の子は、勝美じゃなくてミオなんだ」
 オレの気持ちが伝わったのだろうか。ミオは腕を放して、オレの首に腕を絡ませた。
 間近になってしまったミオの表情は、既にオレの娘の顔をしてはいなかった。
「あたし、15歳の伊佐巳に、ほんの少しだけ嘘をついたかもしれない。……あたしは伊佐巳をパパと切り離して見ようとしてたけど、そのつもりだったけど、やっぱりどこかでパパを重ねてた。小さい頃にパパのお嫁さんになりたかったこと、忘れてなかった。15歳の伊佐巳の恋人になったら、32歳のパパの恋人にもなれるかもしれないと思ったの」
 オレの中で、15歳のオレが叫んでいる。ミオが好きだと。ミオを抱きしめたいと。
 15歳の伊佐巳は死んではいない。むしろ15歳のオレの方が、32歳のオレよりも純粋な気持ちでミオを愛していた。
「パパでも、伊佐巳でも同じ。黒澤伊佐巳があたしの少年だから」
 そう言って、ミオは唇を重ねた。