記憶�U・53
 どうして判らなかったのだろう。少女はいつも、本当のことしか言っていなかった。
(ありがとう、伊佐巳。……大好きよ)
(もう、伊佐巳に隠し事をするのはいやだもの。伊佐巳がしたいと思うこと、邪魔したくないもの)
(怖いの。あたしのパパは、あたしを置いていった。……もう、置いていかれるのはいやなの)
(伊佐巳はどこにも行かないわよね。ずっと、あたしのそばにいるわよね)
(あたしね、伊佐巳の記憶が戻らなくてもいい。このままの伊佐巳で、何も知らないままの伊佐巳と一緒にいたい。この部屋から一緒に逃げちゃいたいよ)
(伊佐巳の記憶が戻って、万が一伊佐巳が変わってしまっても、あたしは変わりたくない。伊佐巳のことを好きな自分でいたい)
  ―― 彼女はいつも怯えていた。オレの記憶が戻ることを。オレが、彼女の前から去っていくことを。
(あたしの名前は、伊佐巳が付けてくれる名前だから。それがあたしの本名なの。そう思ってるから)
(伊佐巳が違う名前を付けてくれるのなら、それでもいいよ。あたしのことを違う名前で呼びたいのなら)
(たぶん、伊佐巳にとって、ミオは特別な名前なんだな、って)
(伊佐巳が最初にミオという名前を付けてくれたとき、すごく嬉しかった)
(死んだミオがもしも違う名前だったら、その2人も違う名前だったかもしれない)
(あたしの名前はあなたが付けてくれた。あなたがあたしのことをミオと呼んだの)
  ―― オレが名づけた名前を、自分の名前だと。
(伊佐巳のこと、好きになってもいいかな)
(あたし、自分の気持ちを考えた。あたし自身が好きなのは誰なのか、って)
(あたしはたぶんファザコンなのね。将来パパみたいな人と結婚したいの)
(あたしの1番好きなのは、世界にたった1人、あたしのパパ)
(あたしの世界にはパパしかいなくて、パパと一緒にいるときが1番好きだった)
(もしもね、あたしが伊佐巳の記憶を取り戻すことに成功したら、あたしを雇ってるあの人は、あたしとパパを会わせてくれるって、約束したの)
(伊佐巳の記憶は必ず戻るし、そうすればあたしはパパに会えるんだもの)
(……伊佐巳。……大好き……)
  ―― 無意識の中で、オレが本当に恐れていたこと ――

 オレを見つめた少女は、恐る恐る、言った。
「……あたしが、誰だか判る……?」
 オレが恐れていたのは、少女がそう問い掛ける、その瞬間だった。
「……黒澤ミオ。……オレの、娘だ」
「……パパ……!」
 目にいっぱい涙をためたミオは、オレの胸に飛び込んでくる。オレはしっかりと抱きしめた。もう、絶対にこの子を1人にはしない。

 その瞬間、オレは15歳の伊佐巳の人格を殺した。