記憶�U・51
 実際のところ、そいつが現われて立ち去るまでの間、オレはずっと気圧されたままだった。
 オレの背後に立った葛城達也は、オレを押しのけながら歩みより、アフルの身体を支えた。たったそれだけだった。それだけで、アフルの咳は止まり、しだいに呼吸が楽にできるようになっていった。
 アフルから手を離したことで、オレの聴覚は元に戻っていた。オレは呆然と2人を見ていた。葛城達也に抱きかかえられたアフルは、心の底から安心しきったような表情をしていた。それは、オレでさえも見たことのない表情だった。
「よくやった」
 葛城達也はそう言った。おそらくオレの記憶をすべて蘇らせたことに対する言葉だった。そして、アフルにはそれで十分だったのだ。触れることをやめてしまっていたのに、アフルの心がオレにも伝わってくる。もう、いつ死んでも悔いはないというような、至福の表情をして、アフルは微笑んでいたのだから。
 15歳の頃のようなまっすぐな気持ちで葛城達也を否定することは、今のオレにはできなかった。
 オレは変わってしまった。アフルはオレが変わっていないと言ったけれど、今のオレは葛城達也の正しさも理解することができるのだ。東京を隔離したことも、東京の人間たちを殺したことも、1つの正義には違いない。アフルが葛城達也を正しいと言った、その言葉を理解することができる。それが葛城達也にできる精一杯のことだったのだと。
 だけどオレは奴を否定しなければならなかった。それがオレの正義で、オレの生き方だ。その時初めて葛城達也がオレを振り返った。オレは奴の表情をはっきりと見ることはしなかった。
「伊佐巳、俺は昔よりはいくぶんマシなレールを引けるようになった。そう思わねえか?」
 オレの父親だ。オレにそっくりな顔をして、44歳であるというのにまるで30そこそこにしか見えない、双子の兄弟のようによく似た男。いつになっても、どんなに時を経ても、絶対に超えることができない。たえずオレの前を歩きつづけて、関わるすべての人間の信頼を勝ち得てきた男。
 もしも父親でなかったら、オレは奴を尊敬していたのかもしれない。偉大さを認め、同じ理想を追い求めていたのかもしれない。この男の息子でさえなかったら、オレは奴に父親を求めることはなかっただろう。そして、奴の最悪の父親像を見せつけられることも、なかったのだろう。
 否定しなければ生きられなかった。自分の中に確かにあった思慕の気持ちを、否定しなければどうすることもできなかった。オレは成長していない。オレは今でもこの男に父親を求め、失望を繰り返しながら生きている。