記憶�U・36
「アフルは帰ったのね。……伊佐巳、何かあったの?」
 あたたまったミオの頬は上気していて、濡れた髪とうなじになぜか艶かしさを感じてしまう。それは昨日までは感じていなかったことで、だから新鮮な驚きだった。呆然と見惚れていた。なんでもない、髪を少し乱暴に拭く動作でさえも今のオレの目には色っぽくて、さっきまで考えていた記憶のことなど一瞬にして吹き飛ばしてしまった。
「あ、うん。……アフルは明日もう1度くる。その時にオレの記憶を戻すって」
 ミオは首をかしげて、上目遣いでオレを見上げた。
「……アフルが記憶を戻すの? それで、伊佐巳はなんて言ったの?」
「何も言ってない。言う前に出て行ったから」
 オレの様子がおかしいことをミオは気付いたのだろう。肩にタオルをかけたまま、オレが腰掛けたままのベッドに近づいて、覗き込んだ。まるで心を覗かれているようだった。だからって、いまさら目をそらすこともできない。
 まずい。絶対にまずい。せめて今夜だけでも、ミオにどこかで寝てもらうわけにはいかないだろうか。例えばミオの親友がいる部屋とか、ミオがもといた部屋とか。監禁室はそれほど快適な部屋ではないかもしれないけれど、隣に狼が寝ているベッドよりはずっとマシなはずだから。
「伊佐巳? アフルに何を言われたの? よかったらあたしに話してみて」
「あの……さ、ミオ。……前に話してくれた親友の女の子、元気にしているの?」
 突然流れに関係のないことを言われて、ミオはちょっと戸惑っているようだった。
「……うん。さっきも会ってきたけれど、特に何も変わってなかったわ。元気よ」
 さっき会ったばかりなら用事なんか何もないだろうな。オレはその先言葉に詰まってしまった。頭がパニックで何の口実も浮かんでこない。
「それがどうかしたの? ……なんだか少し変……」
 ええい、面倒だ!
 目の前に中腰になってオレを覗き込んでいたミオの両肩を掴んで、ベッドに押し倒していた。抵抗感はほとんどなかった。ミオは声を失って、目を丸くしたまま硬直してしまった。