記憶�U・23
 客観的な時間の流れというのはオレには掴めなかった。ミオはオレの隣に座っていて、オレと話すためにこころもち上を向いていたから、オレはベッドに手をついて、直接、唇だけ触れた。ミオが応えてくれるかどうかは半信半疑で、だから逃げることもできるように、身体のどこにも触れずにいた。近づいた瞬間のミオの目はいくぶん見開かれていて、でも、少しもその場から動かずに、触れるに任せていた。
 オレが覚えている限りでは女の子とキスをするのはこれが初めてだった。一瞬、触れて、でもそれからどうすればいいのか、オレには判らなかった。やわらかくて生暖かい不思議な感触があった。人の唇というのはこんなにやわらかいものなのだ。ミオも戸惑っていた。でも、逃げることも、動くこともしないで、硬直したようにそのままだった。
 オレの呼吸は止まっていて、なのに心臓だけが異常な鼓動を響かせていて、頚動脈を通過する血液の流れさえわかるような気がした。客観的な時間にしたらたぶん一瞬だった。だけどその一瞬はオレにとってはものすごく密度の濃い一瞬で、さまざまな感情が通り過ぎてゆく。愛しさとか、恥ずかしさとか、プライドとか、焦りとか。ミオが逃げずにいてくれた嬉しさが一瞬で通り過ぎて、そのあと、初めて感じたさまざまな思いに揺さぶられて、オレの頭は混乱した。
 ほんの一瞬のキス。だけど、唇が離れたあと、オレの中で起こった変化を感じた。たった一瞬だったけれど、オレとミオとは今、少し、変わったのだ。キスする前とはまったく違う2人がそこにはいた。ミオの目を見つめて、オレは同じ変化がミオにも起こったことを感じたのだ。
「ミオ……」
 名前を呼んだとき、ミオはほんの少し、目を細めた。唇は微笑んでいた。本当の名前を呼べないことが悔しかった。