記憶・68
「わからないけど、身体が覚えてる。コンピュータのときと同じなんだ」
「ちょっと、違うかもしれないわよ。これを見て」
 ミオが手にしたのは、例のオレの年表だった。直線の真ん中には引越し1から引越し3までの印がある。その中で、今のオレの意識があるのは、引越し1から引越し2の間、消灯が12時だったこの期間なのだと、ミオは言ったのだ。
「15歳のころ、伊佐巳は空手を習ってはいないの。伊佐巳が空手を始めたのは、17歳になってからなの」
 そう言って、ミオは印と引越し4の文字、その少しあとに17歳の年齢と、空手の文字を書き加えた。
「15歳のオレは空手を知らないのか?」
「知識としては知っていたと思うわ。でも、実際に身体を動かしたことはなかったはずよ」
「それならどうして15歳のオレが空手の動きをできるんだ?」
「それはたぶん、人間の脳の仕組みのせいだと思うわ。知識と運動とは根本的に記憶の仕方が違うのよ。知識の場合は、たとえば記憶したものが間違っていて、あとでそのことに気がついた場合、間違っていた記憶も正しい記憶もすべて残るようになっているの。でも、運動については違うの。練習して、うまくできるようになったとき、うまくいかなかったときの記憶はすべてなくなってしまう。だから一度成功してしまえば、それができなかったころの脳に戻ることはないわ。もちろん、練習を続けなければやがて成功したときの記憶も失われてしまうけれど。
 伊佐巳の身体の記憶は、知識の記憶とは別の場所に蓄えられているのだと思うわ。だから知識の記憶が失われている今でも、なくならずに残っているのよ」
 肉体の感覚。運動能力は感覚に近い。そうか、オレの感覚が残っていたのも、感覚と肉体の記憶がかなり近いところにあったからなのかもしれない。コンピュータは日々進歩を続けている。オレの内部のコンピュータは、32歳までの進化を経た、最新式のCPUが使われているんだ。