記憶・10
 オレはたぶん、出会ったばかりの彼女に恋をしていた。
 もしかしたらそれは恋ではないのかもしれない。まるで産まれたてのヒナが初めて見たものを母親だと思い込むような、そんな心の動きだったのかもしれない。オレは彼女に気に入られたかった。彼女にいつまでもここにいてもらいたかった。
「伊佐巳、あなたは記憶を失ってしまったのね。そういうの、記憶喪失って言うのよね。本当に何も覚えていないの?」
 彼女はなぜここにいるのだろう。そして、オレはなぜここにいるのだろう。オレはどうして記憶喪失になどなったのか。肉体的にはおかしなところはない。オレはベッドに寝かされて寝巻きを着ていたが、オレの身体を治療したらしい痕跡は、少しも見つからなかった。
 周囲は病院のような真っ白な部屋。かなり広い部屋に、常識はずれに巨大なベッドが置いてあって、オレが寝ているのはその上だ。ほんとにこのベッドは常識を外れている。ベッドだけで畳3枚程度はありそうなのだ。
「何も覚えてないよ。自分のことは悲しいくらいに」
「それじゃ、質問ね。あなたは男性ですか? 女性ですか?」
「え? 男だけど……」
 反射的に答えて、改めて自分で驚いた。オレは男だ。これは記憶か? だけどオレは自分が女だとは到底思えない。感覚的にオレは自分を男だと思っている。
「ミオ、オレは自分が男だってことが判る。他の記憶は何もないのに、なんでか判るんだ」
「それは、伊佐巳に感覚があるからよ。伊佐巳の感覚は記憶と一緒に失われはしなかったんだわ」