2007年12月の記事


午後冷たい北西の強風
天気予報通り愈々西から寒気団到来か。そして西日本と日本海側には雪になるという。

珍しく、娘一家は自宅にいる。感心していると孫娘が「じいじ ママがパソコンのこと何か言ってる」と言ってくる。

婿と二人で、片っ端からCDを調べている。画像の入ったものが見つからない。私では考えられないことである。

使用済みと未使用の区別。画像と文書ファイルの区別も知らないで騒いでいる。整理していないから、手当たり次第全部調べなければならない。

今頃、年賀状印刷とは元日に相手に付かない失礼もある。元日に来ないとだらしのない人物か目上の人。

受け取って返事をするのは大抵偉い人が常識である。それすら心得ないのは婿は多忙。

その役割は娘なのだが、昨年まで全部写真店で以来したのを今年自分で作るというから、感心していた。

ソフトが必要ならば、またはできないならば、作ってやるよと言ったのだが、会社からもって来たといっていた。

もしかすると先ほどの騒ぎは、コピーしてきたソフトを探していたのかもしれない。
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半日近く残った霧午後には晴れ
婿と娘が孫達を連れて墓参に行くというから、駅まで送る。年末は墓地の混雑は並大抵のものではなく、彼らに任せる。

婿の在所とこちらの両方をお参りする。

われわれは正月用の買い物。ぎりぎりに来た歳暮のお返しをする。

荒れるという予報とは裏腹に、空が徐々に明るくなってきた。

「偽」を代表するような暗い一年だった。経済もアメリカの影響をもろに受けた株安。

石油高騰による物価の値上がり。良いニュースはなかったような気がする。いや、悪いニュースが良いニュースを消し去ったのかもしれない。

最後の最後まで、受けたことのない健康診断に振り回された年。親切に勧めてくれた役所の彼も不整脈で再検査。

M.R.I.などと言う新兵器の経験もできたと思えば、その程度で過ぎたことへ感謝すべきだろうか。

昨日、代表作家展の準備で会った写真の役員M氏は脳梗塞で三度目の発作。克服して頑張っている。

私の血圧の高くなったことを心配して、忠告してくれた。診療所の先生の定期診察を継続しようと思う。

薬が効いたか、最近は可なり低く安定してきた。測定の時刻で大差のあることも知った。
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茶髪
今日病院へ検査の結果を聞きに行った。順番を待つ間、いろいろな人が通る。

ヘルパーさんの押す車椅子で来る人。杖をついてかろうじて歩いている人。日本の足で自分で何不自由なく歩ける自分は幸せだと思った。

その中に、茶髪の青年が手を引いている老女。彼の祖母ちゃんだろう。ゆっくり足元を見ながら彼女の歩調に合わせて、そろりそろりと歩く姿は愛情に満ちていた。

人は概観では決められないと思った。大好きな祖母ちゃんが病んだ。両親はいないのかもしれない。

癌で亡くなった祖母を退院の時に背負って泣いた自分を思い出していた。
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今年最後の窯
金曜日に搬入の当市の役員だけの新春代表作家展である。

新作がたりないので、今日から焼成である。泥縄が多いのだが、書面に立派なガラスケースを私のために用意されるから
恥じないものを展示しないと済まない。

水指は幾つかあるのだが、手前に小品ながら祥瑞香炉を置きたい。
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外の食事
夜になって孫か゜呼びに来た。「パパが忘年会で帰らないから、一緒にスーパーで食事したいとママが言っているよ」
またかと思ったが、休日で孫二人はあたらしく出てきた「ポケモンゲーム」をしたい。

食事は何でも良いのである。いろいろな店が数店舗あり、セルフサービスでその中の何かを選んで食べる。

残念ながら、この手の食事で美味しいと思った店は一つとしてなかった。

欲しいものがなかったが、われわれは天丼とカツどんを一つずつ取ったが予想通り、後半には食べたくなくなって残してしまった。娘はご飯とうどんのセットを取って三人で食べる。

娘がどんぶりもの、孫達はそばとうどんをそれぞれ食べた。これが最近多いのを見て心配になった。

栄養は全くないに等しい。われわれのてんぷらとカツわそれぞれ食べさせたが、それでもバランスは最低である。

冬休み中こんな食事が続くようでは困ったものである。

栄養面だけでなく、こんな食事ばかりを食べさせると、味音痴になることも気になるのである。

昔からの小さな専門店がどんどん減って、こんな形態の食事だけが残ると、大衆はこの程度の食事しか食べられなくなる。

今夕政治討論がミノモンタを司会にテレビ放送があると期待して帰宅した。われわれの思うことを代弁していたが、それに対する与野党の議員の回答、説明は情けないものだった。

政治の貧困が最近の大問題が続出する原因だと知った。もっとも、テレビに出る議員の顔ぶれが決まって、お粗末でもあるからだろう。

一人のベテランのはずの議員の回答が特に情けなかった。離島の老人の生活の惨めさ、死にたいとまで真剣に思っている様子が流されて、その反応をミノさんが聞いたのだが、彼は何をするのも財源が必要と増税の妥当性を思わせる発言。
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晴のち曇り
午前中は晴天。最近にない暖かい日と喜んでいたら午後には曇って今にも降り出しそうな天気となった。

孫達は通知表と荷物を沢山持って返って来た。何時も朝迎えに寄ってくれる孫娘の友人を家の近くまで送るのが日課だが、途中に「風船カズラ」の実がなっている知人宅がある。

毎日、孫が横目で通る。手は届くが、よそ様のものとってはいけないといっていた。今度、おばさんがいたら頼んでやると言っていた。

偶然、今日はその主が庭に出ていた。事情を話すと喜んで取って行けという。

一緒の子供たちも皆、真似をして取り尽くしてしまった。
ほおずきのような小さい可愛い袋状の実がなり、その中に黒い大きな種が平均3個は入っている。

珍しいこの花の名を知っているのに寒心していたが、幼稚園にあったから知っていたという。

友人たちも皆、一つ勉強になっただろう。しかし、春まで保管して蒔いて芽が出せるのは、何人いるだろうか。

親友と二人成績の見せ合いをしていた。同じような成績で二人とも上位にいることは三十丸が殆どだから分る。

一学期はそのこの実力が先生には計り知れないところもあるが、二年生からは力を認めるのだろう。

一学期は今一つだった孫は二十丸から三十丸になったのが多かった。中に二重丸が何個かある程度は十分満足である。

多分それを娘は褒めないで、二重丸をたしなめるだろうと思った。

褒めて自信を付けさせるのが私の教え方だが、親は欠点を捜すから情けない。
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寒さ緩んだというが
風は相変わらず冷たい。降雪のあった地が多いのだから、晴天でこの程度の冷え込みで贅沢は言えない。

そして、来たではインフルエンザの流行が盛んだという。例のタミフルで起こるのか脳炎。

医事も患者の親に判断を任せるしかない有様。若い子供を持つ親は今年は大変である。

飲んで3時間後が最も多い発症と言う。
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今日も宗教の会
子供の幼稚園バスに乗せて直ぐに、名古屋へ出かけた娘。「のお迎えお願いね」といって出かけた。

どこへ、何の用事と問う間もなく。休み前で12時過ぎに帰る孫を私と家内で向かえた。

母親のいないことを知ると、喜ぶ孫である。昼食がわれわれの献立が彼は嬉しい。

満腹になるまで見事な食べぶり。夜も走って報告に来る。
「夕ご飯食べたの」と聞くとカレーだという。
「良かったね。美味しかった」と問うと。

「まずかった」と顔に皺をいっぱい出して答える。造ると三日も同じものが続くからだ。

英語教室の迎えについてきた娘に、今日は説教をした。
「子供たちが怯えている。暴力を振るうらしいな」と言うと「Iにはしないよ」という。「誰にするのだ」と聞くと。
姉がいうことを聞かない時だという。

「どうしてそんなことでびんたや背中をけったりするのだ。勉強も習い事も皆嫌いになるだけだろう。」

「私が手を出したことが一度でもあったか」黙って聞いていたが、「はいはい」と二度返事をして社外へ。

誰だか知らないが、一日の三分の一は携帯メールをしている。「今度暴力を振るったら、私のところへ直ぐに来いといっておいたから」「私がお前に同じことをするからな」と言い聞かせた。

暴力反対の私だが、放置しておけない娘の孫虐待である。真剣に注意した効果があることを祈るばかりである。
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日の出の時刻を過ぎても暗い
空一面が暗い雲、雪空に似た空模様である。今朝は夜中に起きた。そのまま仕事を少し。

今日はM.R.I.の撮影である。忙しい今、健康診断をしたことを後悔している。

こんなものは暇な時にするべきである。祥瑞の細かな染付けを沢山描かねばならない時なのである。

ベストコンディションで悠々と行きたいものである。

ようやく午後、仕事に入ると、娘が「Iチャンの二度目のインフルエンザの注射なんだけど」といってくる。

我が家だけの会話である。一般には「だから連れて行って」とか「お願いします」なのだが、曖昧語が多い。

ついでに日用品をスーパーで買い物をしたいという。帰ると、孫娘の塾通い。孫達との接点が持てるときでもある。

彼らが公然と私に甘えることのできる一時だ。留守番に回った方は家内と留守番の間甘えることができる。

それぞれがわれわれに語るのは「ママに叱られた」これが共通語。時に暴力、「往復びんたと背中を蹴飛ばす」などと言う。

「そんな時はじいじのところへ来なさい」「じいじか同じことをママにしてやるから」という。

恐ろしくで言えないのだが、私が叱れば反動は孫達の方へ行く。幼年期に生みの親に虐待されていたのかも知れない。そう思うしか考えられない。

養女になった高校、大学時代は世間も驚く良家の娘を演じていたのだろうか。常に私がどこへでも連れて歩いた。

買い物、食事の殆どが一流店だつた。どこへ行っても良い待遇を受けたからか、相応しい振る舞いができた。

急変したのは結婚後である。われわれから離れた自分達だけの生活になって地が出てきたのだろう。

新婚時代は二人だけにと思った思いやりが仇となったのかもしれない。

甥の子を今の孫達と同様に可愛がったのだが、それは時々で、生活の殆どは甥夫婦の家庭。

おいは40で早死にしてしまったから、嫁が主になっての生活が続いた。生活の援助はわれわれがして、女の子二人のうち一人が今の娘を高校一年のときに養女に迎えた。

本家の我が家に後継者がいないから、可愛がるわれわれの元へ娘を入籍するのが最良と思っていたのだった。

彼はわれわれを親と慕い、尊敬してくれていた。われわれはわが子のように彼を可愛がった。

世間のどこから見ても理想の関係。勿論、今もそう思っている。今も私に甘えている娘だから、言葉が乱雑なのだと家内は言う。

「親しき仲にも礼儀あり」を大切にする私には通用しないから、時々、叱る事になる。

30過ぎに来た反抗期なのかも知れない。それと、狂った現代の影響も加わるのかもしれない。

私の考えた理想の家庭像が遠くなってゆく。救いは孫達のぬくもりである。言葉ではない。親達のいないところで、われわれに甘えてくる。

二人とも可愛いのである。親達はそれがねたましいから、遠ざけようとする。

とはいっても、都合の良い時は私の車がないと生活が成り立たない。それは別なのだから勝手が良い話である。
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役一昼夜繋がらなかった
誰もがそうだったのかは知らない。自分のPCが異常とも思ったが、他のサイトは全てよしだった。

先日の健康診断の延長である。9時から11:30まで、通して、尿と血液の検査である。

何も食べずに行き、最初の尿と血液をとり、ブドウ糖の一種の検査液20CCを飲んで30分後同じく採取。

次に一時間後、二時間後と繰り返す。親先生は80を超えて、お嬢さんは40代半ばの先生。親切なので大人気のようである。

血圧が何故か我が家で計るより高い。今朝も下が105で上が倍の210には自分も驚く。

血圧と心臓の薬をかねた薬が出た。

電池切れか不調だった我が家の血圧計に新しい電池を入れた。測定すると上が170下が93である。

長い間、これで測定してきたのだが、万一、診療所が古いのではと思ったりした。

何処かでチェックが必要かと思う。
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浅田真央挽回ならず2位
前日のショートプログラムで6位の点数が最後まで禍したようだ。フリーでは一位になりながらキムに追いつけなかった。

トリノで行われたフィギュアスケートグランプリ最終戦での結果である。中野は平均した成績ながら5位。

若い選手の次々の台頭は喜ばしいが、その日のコンディション、精神的な影響にまで関係する厳しい時代となっている。

無敵な以前の浅田を思い出させる韓国のキムである。
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10時に名古屋のクリスマス会
娘と孫達が出かけた。少年部の役員を二年続けた娘だが、今年で遠慮させてもらうという。

人使いの上手い、荒い新興宗教である。先祖を粗末にしないから許しているが、全面的にではない。

昨日買いこんだ菓子他を沢山抱えて出かける。こちらの買い物は私がいるからよいのだが、名古屋は電車、バス、地下鉄である。

夕方5時過ぎに電話で、「来れたら迎えに来て欲しいのだけど」である。寒くなったし、バスに乗せるのは孫達が可愛そう。

仕事を中断して出かける。孫たちに「楽しかったか」と聞くと代表して弟が「楽しくなかった」である。

外出時オムツが取れない彼は「ひゅく、ひゃく」とひゃっくりが出ている。「オムツが濡れているな」と言うと、車中で眠りかけたというから、余計である。風邪の元となるから、気になる。

迎えに来てやって良かったと思う。微妙な乾き具合を要する作品つくりの時だけに、本当は中座は禁物なのである。

そんなことは家中で誰も知らない。
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猫の目天気
冬型になったのだろう朝は西の冷たい風。日中陽光は暖かくなるには程遠い。12月半ばなのだから当然である。

幼稚園は早く終わり、冬休みまでこの時間。午後予約した孫娘のインフルエンザ予防接種一回目に連れて行く。

孫二人とママは済ませたことになるが孫達は二回目を討たねばならない。

名古屋に可なりの勢いで広がっているから、早く効果が欲しい。われわれ夫婦は打ったことがない。家内だけでもと言うが家内も行きたがらない。

買い物帰りに豆腐製造元へ寄って、美味しい豆腐と油揚げにオカラを買い求める。

大量に仕込んで、お隣と親しい和菓子屋さんへ届ける。孫娘の好物の生菓子も買うのを忘れない。

届けるのはよいのだが、必ず、菓子を別に包んでくれるから、あり難いが恐縮する。

何故かわれわれとあちらの夫婦がうまが合う。膠原病の奥さんを大切にしている夫婦に好感が持てるのである。

お使い物も全て我が家はここのものを使う。この土地では和菓子では卓越した主人の腕である。

冬にだけ造る中の餡に黒砂糖を使うのが特別美味で私の好物である。
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午後はアッシー
2時に幼稚園へ孫の英語教室。それが終わる頃個人懇談と一人前の学校並。

その都度娘が細切れで頼むから、完全に予定が立たない。姉の下校の迎えは頭にない。

母親の珍しく急ぐことは理解できない孫娘は友達とのんびりと下校である。

運転できない、させないから仕方がないのだが、説明不足で
自分だけ解っている。

引き続きピアノ教室。5時にようやくスケジュール終了。
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俄にかき曇り
猫の目天気の予報通リ、三時ごろから急に暗くなった。

朝のうちに用事を済ませるつもりだったが、やきもの材料を一つ手に入れるのに、友人のところへ、そして、染色家Sさんへ。

行きつけの喫茶店が店を閉めるから付き合ってくれと行くと。展示会ができる広い店である。

昔の農家が地主で自分の店。老齢になったから閉めたいという。Sさんがグループ展に利用していたという。

モーニングサービスにサンドイッチと目玉焼きにサラダと山ほどつけて450円なのだから、この辺の喫茶店は経営が大変である。

私には酸味が強いくどいコーヒーだったが、一般にはこれが濃いと喜ばれるのだから不思議である。

帰宅は1時を回ってしまった。
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早朝
といっても時計を見ると4時である。起きても不思議ではない。

しかし、やはりこの時刻は冷える。部屋の温度計を見ると10度を割っている。

今日の天気は下り坂と言うが、空は未だ暗い。
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静かな晴天だが、暖かいとは言えない
13度程度の気温。風もないが先月とは大差である。

早いと年だと初雪もあるのだから暖冬と言うべきか。相変わらず交差点まで孫娘の下校を迎えに行く。

途中会う近所の子は「お帰り」というと「ただいま」と返してくれる。

先週末に又、変体男現れるの通知。交差点の直ぐ東である。私も迎えに出た15時前後には姿はなかったが、白いボックスカー下半身裸の60男という。

そ奴かどうかは知らないが新聞販売店の店主から聞いたのだが、配達の女性たちは団地が最も怖いという。

エレベーターはなるべく使わないことにしているらしい。早朝5時ごろに一対一でエレベーターで一緒になったら危険である。

物騒な世の中だと呆れるのである。店の前の掲示板に犬の写真を飾っているのだが。今度我が家の犬も写真を出して欲しいと頼む。

メスの一才半のチワワなのである。
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家内の友人の作品
市のフォーラムでの展示会だった。トールペイントだった。精密な木工作品と言うべきなのか、鎌倉彫の西洋版とでも言ったらよいのだろうか。

5日の当番の日に行けなかったから会えないと諦めていた友人が受付にいた。

先生のほうが若い、美大を出た人で、私の市の役員仲間の一人の教室でも教えている人であった。

美術の世界の狭さにも驚いてしまう。カメラも忘れて携帯での撮影だが、記念写真には十分間に合った。

印刷して、今日には写真を投函したようである。

昨夜から婿の母親が来ている。淋しいらしく、二人の子供の下を泊まり歩く。

斑ボケの気配もあって、二ヵ所の病院を婿と娘が連れて行っている。4DKの建物では親も一緒に住むことは難しいが、お母さん一人は淋しいから、大切にしなさいと常々言ってある。

遠慮するからわざわざこちらへは顔を出さないようにしてある。

公園の好きな人。下の孫と仲がよいのだがパパは「おつむの程度が同じだから」と冗談を言う。

私達と話すときは立派な常識人。礼儀正し過ぎるほどだと言ってやる。

嫁達は勤めるが、一週間が限度。平素が我侭なのだから、時にはよい薬だと思っている。
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近くの診療所
健康診断を夫婦で受けた。9時丁度に行って10時半には帰宅。

孫か娘が一度行ったことがあるが、お年寄りの先生だった。

今日は女性医師で50代だろうか信頼できそうな先生であった。血圧は最近高く承知していたが、心電図は生まれて初めてなのだが、ブロックがあるとのこと。

来週月曜日には全部分るという。尿と血液、血液は前立腺がんの検査もできるようだ。他に肺のレントゲンも撮った。

書類を書き込んだから、検査は1時間であっただろうか。一人の男性が順番が来るのが遅いから帰ると文句を言ってるのが居た。

こんな人は高血圧か脳の病気か、胃腸か心臓を悪くするだろう。顔を見れば文句を言いたい顔。

先生と看護婦皆が謝っている。いい年していい加減にしろと注意したいのを我慢して帰った。
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民営化後の郵便配達
以前はこの地区では午前と午後それぞれ早い配達時刻と遅い時刻が交互に行われていたと思う。

多分、一週間おきだと思う。または、一日おきだったかもしれない。名古屋に住んでいたころは午前と午後二回の配達だった。

最近は毎日が遅番のような気がしてならない。現金書留などもたまにあったのだが、前日に送ると次の日に届くのである。

月曜日に送りましたとの連絡で、留守にしては悪いと昨日は注意していたが、遂に来なかった。今日の昼前、一般の郵便物と同時に届いた。

民営化による弊害だったのだろうか。地方によっては、局が減って、可なりの不便さが出ていると聞く。

この程度なら良いほうなのかも知れない。
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どげんかせんといかん
今年の「ユーキャン新語・流行語大賞」(現代用語の基礎知識選)に東国原英夫・宮崎県知事の「(宮崎を)どげんかせんといかん」と、男子ゴルフの石川遼選手の「ハニカミ王子」が選ばれた。

ハニカミ王子は名付け親が表彰されるべきだし、中に裸の男。去年の腰振り男が出なくなってほっとしていたのに、どうやら「オッパッピー」とか言っている。

子供が真似を始めた。なんだか分らないキャラだが、害あって益なしで、法に触れないのだろうか。

醜い裸体は反吐が出る。
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都会の近所付き合い
私の郷里だと大変である。勤め人でも、近所に葬式があると3日休むのは当たり前である。公然と勤務先が民間、公務員の別はない。

そして、お世話、即ちお手伝いを主婦達がする。その家ではなく、火葬から帰ると組内の家に部屋を用意して待つ。食事が用意されている。

喪主も親戚もこのお世話になる。
場合によっては初七日までをここでするのである。近所が親戚なのである。

そして、初七日を三日目に行い、今度は喪主がお世話になった方々をお招きし、割烹前掛け他、お手伝いに使用したものを新しくお返しするのである。

今の都会では考えられないことなのであるが、それも東北の大都市である。

日本の北から南まで習慣は様々である。関西、特に、縁のあった滋賀県の人たちはこれも大変である。香典の金額か違う。受付には親戚の人間が必ず加わり、香典袋に糸を通してまとめる。

間違いを防ぐ意味か、他人には任せられないという意味なのか、良いことではあるが、何とわれわれには理解できないこともある。

ただ、喜びや悲しみごとを分かち合うことでは皆同じであり、気が動転している家族に代わって、お世話をする。

会社関係などでは葬儀委員長といって式を取り仕切ることから来ているのだが、名目だけで、葬儀所が発展して、全ての面度を見る職業ができて、便利である。

自宅を使わず、お寺も使わずというのが多くなっている。冠婚葬祭互助会などという便利な会がそれぞれの会場を提供する職業が存在する。

合理的ではあるが、人と人との付き合いが疎になり、集合住宅においては、隣の人を知らないなどと言うことが罷り通っている時代である。
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隣の葬儀
昼近くに隣の若夫婦からお年寄りが亡くなったことを知る。当地に越して来て以来のお付き合いである。

垣根に入り口をつけて、自由に行き来するようにした仲である。長男が名古屋に住み、そこが両親の家、こちらが長男さんの土地らしい。

だから、老夫婦は先日まで住所が名古屋になっていた。今朝2時に亡くなったから、今夜が通夜、明日葬儀なのである。

だだ、内内で済ませるという挨拶に、如何するものかと戸惑っている。組内と町内には知らせることは止めにした。

おばあちゃんを連れて行くというので当方へ挨拶だった。兎に角、お淋見舞いの菓子をもって通夜に行こうと思う。

会場は名古屋の葬儀所である。子息夫婦ともわれわれは親しい関係であるのだが、密葬といわれると、距離感がつかめない。

通夜に伺って、手を合わせて来ようと思う。
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好天の土曜日
娘一家は静かである。パパは日曜だけが休日だから、今朝も6時半には出勤。よく働くパパである。

昨日の学校からかえると友人二人を呼んで、遊んだ孫達。だから、夕食は外だと予想したが、その通り、パパの帰る夜八時過ぎまで待って外で食事である。

夜遅かったからと言う訳ではないだろうが、孫達に朝食を食べさせない。忙しいと洗濯。

昼近くに外で朝昼兼用の食事なのである。そんなに食事を作るのが面倒なのだろうか。

規則正しい生活をしないと何処か悪くなる私とは正反対である。二人とも親に逆らって自分の主張のできる年齢ではないから、しばらくこの出鱈目な生活に甘んじなければならないだろう。

見かねてこちらで食べさせると、子供がママに叱られる。自分は栄養管理していると思っている。

料理学校も短大も出してあるから、作ることはできない訳ではない。

二週間に一度だけこちらへ泊まれる姉はそのときが待ち遠しい。買い出しから一緒に行って、料理の材料、好物を買って食べさせる。

帰宅すると彼女はいろいろな野菜を皿に盛ってサラダを作るのが好きなのだ。

料理好きな女性になるようにと祈っている。
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