2007年06月の記事


最高気温29程度なのに
蒸し暑さは最高。朝から多忙もあった。買い物に出ていると、近々に来る約束はしたが、機械を渡す約束があった。

今から50分後に着くという。大慌てに帰宅。二台あるからその一台だが、クレーン付きのトラックの都合もあるのだろう。

大の大人が2人来たから、指図だけだが、暑い最中となった。

途中に切り上げた用事を午後に、その前に娘が用件二つで乗せて欲しい。

左程遠くないのだが、帰宅したら70kmを軽く走っていた。

それでも、本日の用事は残っている。バスがないと娘から電話。

下校した孫娘が遠慮して、約束の友人宅へ近いからと、走って行った。

何事も逆に進む。先様へ行き、お願いして帰る。

今にも振り出そうな西の空が真っ暗。大雨の気配。異常な蒸し方はその前触れらしい。
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毎日腹が立つ
山口母子殺人事件の弁護団。遂に、自白を翻し、有名漫画まで持ち出して精神異常に見せかけての弁明。

全ての応答をでっち上げて、死刑廃止が主目的。被害者の夫を思うと、何と許されない弁護団か。

弁護士の行動規制の必要さえ感じさせる。被害者より加害者の立場で、刑を軽くするためのものは、弁護士の役割ではあるまい。

警察の暴走での冤罪、加害者の発言を正しく出来る助けのためだと思っていた。

どれをみてもまともな面構えの弁護士らしい人物がいないことから、彼らの立場を立証している。
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蒸し暑さで有名な名古屋
暑さに強い当地の人たちも、暑いの連発。

湿度が高いからだろう。前線の南の湿舌という奴かもしれない。

幼稚園から帰ったわが子を早々と風呂へ入れた娘。

べたべたは取れるが、屋外に出るとまた繰り返しだ。

冷房があってもなくても無頓着な小生。シ
ャツは何枚も替えたのだから、異常な暑さのようだ。

ピアノ教室が母親と行くのが久しぶりの孫娘。近いのだが、車で送迎をしてやる。

仕事場で余り汗が出るので、室内計を見て驚いた。屋内で31度なのである。
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水泳のテスト
クロールのテスト12人が全員25mを泳ぎきり往復したが、全員不合格。

父兄の観覧席からみていたが、泳ぎの形がまだ悪い。

こちらを一度も見る余裕がない。変だと思っていたら、テストだった。

立派なことを言っていても、今、私は25mを往復泳ぎ通すことは出来るのだろうか。

朝から暑かったが、湿度か高い名古屋独特の天気かとも思われた。
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昼寝
まどろみ程度だが、昨日だった。以来、首と肩がおかしい。

今までは、昼寝をするとその後頭がスッキリしないで気分がわるいから、したことがない。

最高が190の血圧、下も9を越えたた時があって、無頓着な私も血圧計を使うことが多くなった。

風邪でもないし、理由が分からぬまま、最近は150が最高75が最低血圧だから、それも日中だから、基礎血圧はもっと安定しただろう。

と迷医の診断である。

今日は午後3時頃までは降りそうな天候。その後薄日が差してくると、気温が上がった。

30度は軽く越えたであろう。孫娘は宿題をしているうちに眠くなり、ようやく終えると眠ってしまった。

幼稚園の弟も多忙な日だ。3時半に園のバスで帰り、4時過ぎにはチャイルドアカデミーである。

漢文の暗記を頑張ると送ったが、一時間後迎えに行くと母親に抱かれて出てきた。

子供2人とも夕方睡魔に襲われたことになる。

4才の幼児に、帰宅して30分を経ず、次は可愛そうだ。

7月で休みにするという娘。ようやく私と意見が合った。
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4時前に起きて一仕事
定時に朝食を済ませて、横になりテレビを観ていると、いつの間にか、まどろんでいた。

朝から雨だから、娘一家は静かな日曜日を家で過ごしているかと思うに反し、既に、出かけていた。

婿殿も嫌がらないのか、好きなのか。毎週日曜日を外出する。

今日のショッピングセンターは彼らのためにあるようなもの。孫のクラスメートに聞くと、月に一回か多くて二回が外出だという。

我が家はいささか、例外のようでもある。出好きなばかりでなく、外で食事をするからである。

婿殿も外食が好き。皿洗いから開放されるのも原因か。

私が外の食事で旨いと思うのは、懐石料理かフランス料理かてんぷら料理だが、これもたまに食べるから良いのであって、毎日は飽きるのである。

一汁一菜が好きな私である。若者がそれでは困るのだが、台所で食事の音がするものなら、珍しい娘の家である。

彼らはこの私の監視(彼らはそう感じるのかもしれない)がプレーシャーにまた、ストレスとなるのかも知れない。

そんな時代なのだ。植木等さんではないけれど「分かっているけど止められない」のが私の気持ち。

その何分の一しか口にしない私のほうがストレスが溜まるはず。

残念ながら、この言葉はわたしには無縁である。くよくよ考えるのは嫌いだから、本当は思うことを全部吐き出したい。

若者が逃げ出すだろうから、我慢している。それを一般の人はストレスにする。

暑さ寒さもストレスなのだが、その感じ方で、健康と不健康が分かれる。

暑い、「沢山汗を出して体内の老廃物を出そう」と一杯水分を取る。少し、塩をなめることを忘れない。

飲みすぎと思うと、牛乳に変える。寒い、「田舎の寒さの比ではない」手がかじかまない。

今年は豊作だな。「お百姓さんは嬉しいな」夏は暑く、冬は寒いのが良い。

聖人君主ではないのだが、心の持ちようでストレスは解消となる。やけ食い。やたら物を買う。女人に多いストレス解消法である。

これも還暦過ぎて会得した方法かも知れないから、若者には無理なのかもしれない。

しばらく振りでやってきた娘の生みの母(家内の甥の嫁)は言った。「この歳になって、お父さん、お母さん(われわれ夫婦のこと)の言われたことが分かるようになりました。」

彼女は長女が出来ると子連れで私の元に働きに来ていた。大勢の人を使っていたから、身内の手伝いが何より必要だった。

甥の母が反対するから、私たちが結婚させた。だから、私たちを親だと思っていた。

甥の父親は家を出て、兄嫁と甥2人を私たちが面倒を見ていた。

本来なら兄が継ぐ家である。われわれが本家の役割を果たした。

今の娘は私たちにとっては孫的存在。結婚一年目は、我が家の離れで生活、その後独立して別に住んでいたから、帰りにはなき別れして毎日を過ごした。

自分から養女になりたいと希望したから、手続き上必要な家裁の人も、文句のない縁組と判断した。

高校一年生以来。今で流行といわれる名古屋嬢を十分にさせた。外出は正当以外は許さなかった厳しさもあったし、幾つになっても門限は9時。

短大へ入る頃はこちらへ移住。若者の住む家を隣に独立して建てた。

婿に入ってもと言う婿に「男は姓を変えるものではない」。とあっさり承諾したのに彼らは驚いたらしい。

大学を終えても勤めに出さない盲愛だったから、結婚は抵抗に会うと娘は思っていたようだ。

婿を一目で、人間性を見抜いたからだったのだが・・・・

唯一の条件は「どんなときでも女に暴力は許さない」と「いつか時がきたら、一軒準備しておくから隣に住んでくれ」だった。

頑固な父を納得させて結婚という話題性のある番組のターゲットにされ、結婚式にテレビカメラが入った。

朝日ビールのスポンサー番組でもあった。

習い事はお茶と華、塾は全然行かせず、自分が教えた。

結婚後の新婚時代3年は2人でマンション暮らしをさせた。

私は教師でもないのに、名古屋時代は事業の傍ら、名門中学、高校、大学生までを頼まれて教えていた。

中学の先生が進学は諦めろといった問題児も高校へ入学させた。

評判を聞いていろいろな相談が飛び込んだ、今なら、テレビに出ていたことだろう。

厳しさから開放されてのその反動で、自由に遊び、自由に買い物をするのかも知れない。

早く帰宅したと、午後4時に感心していたら、夕方、また出かけて、外食である。

家内は全て私の責任ですよという。
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逞しくなりつつある孫娘
通学を共にする女の子が、男の子に泣かされたという。

迎えに出た私が目にしたのは、その子を叱って追いかけているわが孫である。

いじめられる心配はないが、逆に、いじめに回るのも怖いから、注意しなければ。

尤も、女の子の友人も多く、人と仲良くすることの上手なのは、岡崎へ3年通った間、彼女をよく連れて行った。

商店の並ぶ一等地だから、多くの人と接することが出来た。仕事柄、高度な人たちとの接触で年齢以上の感覚が身についたのかもしれない。

先日、裏の親しいご近所さんが、自分の庭の琵琶の実を持ってきてくださった。

お礼に家内のてずくりのブローチを差し上げる話を耳にするや、階下へ降りて、自分の制作した何点かをも見せて選んでもらっている。

地味な家内製と孫製の二個を選んで帰られた。自分の作品が選ばれたことが嬉しいのである。

「叔母ちゃん。ご馳走様」と挨拶も立派である。われわれと話すときに、最近、雑な投げ捨てた会話が出ることがある。

はて、と考えると娘のアクセントに似ている。これは今のうちに芽を摘まねばと思った。

母親を矯正しないといけないのだ。容易に直るかは問題ではある。

娘は対外的には、おとなしい、優しい印象を外からはもたれる。私の言う猫かぶりである。

中ではどうにも聞いていられない会話である。婿がおとなしいことも、原因だが、夫を立てることなど考えもしないこの世代である。
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暗い空の雲間から太陽が

し暑くなりそうだ。西は雨が近ずいているとのこと。

定例日より二日早く孫が泊まると言い出した。水泳教室も私とだけ行くからママと弟は来るなと言う。

尤も、自分の子供の上達を見るでもない、ショッピングに興じる。弟とゲームセンターである。

必ず、二階の父兄席を見上げる子供たち。
手を振るから、こちらも見ているぞと手を振る。

始終そこから動かない父兄は半分近い。娘が行かないのを知ってからは私がそこに陣取ることにした。

上達の具合を知るのに好適である。月謝をとるだけあって、丁寧に基礎から教えてくれている。

一年もすると皆クロールは泳げるようになる。正式なフォームは私の我流とは異なる。

河で覚えた私の泳ぎは古式泳法に近い。急流では、顔を水中に泳いだら岩に頭を打ち付けてしまう。

平泳ぎ背泳ぎバタフライ全てOKだか、正式の違いをここで知った。

直径100m以上もある沼。高い端の上から飛び込むのは足からだ。格好の悪さはあるが、怖さを知らない、田舎流。

コーチの教えが届かない手の動かし方を補足する。次の泳ぎに治っているから嬉しい。

姉が登校した頃、弟とママは風呂へ入っている。彼がお漏らしをしたらしく、叱られている。

姉の言う「ママは怒るのが趣味だものね」は当たっているらしい。

父親は夜帰るとママの言うことをきいて、そのまま、再度叱るから愚かである。

子供から真実を掴もうとしない。それを望むのは無理なのだろうか。

私ならそうするのだが、年齢のせいにされるから、どうしようもない。

馬鹿につける薬はないと、私の何時もの捨て台詞。
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渋谷の温泉ガス爆発
昨日の天然ガスの爆発の凄さに、皆驚いている。これは一般だが、東京とは一斉に調査。

何でも事が起きてから、慌てて、対処する。亡くなった人3人は帰らない。

 
消防か何処か監督官庁があるはずである。ガス探知機もなかったとは笑うことすら出来ない。

一般家庭でさえ、設置を義務付けているではないか。

その他の物損も周囲は大きいようだ。
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ハンカチ王子
それを卒業した彼は、愈々、大学日本一の早稲田のために、昨日に続いて今日も続投。

見事日本一に輝いた。東京六大学の他校のためにも責任も果たせた。

彼の在籍する四年間は早稲田の独走が続きそうだ。
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孫娘の最良の日
金曜日のお泊り日。夜の9時から特別番組を見たいと言う。

私にしては珍しく夜更かしを認めた。2時間だと思ったからだ。休みの前の日でもあり。

ところが3時間だから真夜中零時までである。終わるとすぐ眠りに付いた彼女。

今朝は10時近くまで起きないことを願ったが9自前には起きて来た。

熟睡の良い目覚めだったらしい。朝食にそうめんと卵豆腐、味噌汁、サラダはお隣から昨日頂いた取れたてキュウリとトマト。

仕上げのフルーツはメロンとみかん。満腹状態に食べてくれるから嬉しい。

こちらへ来たときぐらい、栄養をと思う。昼は野菜炒めに鎌倉ハム製のソーセージ。

最近、出始めたこの社のハムとソーセージはやはり美味。私の好物だが、一皿の三分の二は孫が食べてくれた。

嬉しい食欲と美味しいものが美味しいと言う味覚も嬉しい。ご飯は料理がしたいと言う彼女と家内の合作。

返さないで裏表を焦がした炒めご飯は珍味。やや薄い塩分補給に私のアイディアの
紅しょうがの微塵きりを加えたら、良い味と香りだ。

我が家の新メニーユーになるだろう。約束の午後1時彼女は満足して自分の家に。

気温は軽く30度を越えているようだ。
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夜、就寝近くに
ランドセルをもって孫娘がやってきた。今夜も泊まりたい。

明日は金曜日のお泊り日である。どうしたのと聞くと、ママとパパと両方と喧嘩したという。

ママは好きにしなさい。パパは行っては駄目と言うらしい。

それだけでは意味不明。宿題をしていないことからママの文句。

弟が付いて回って、勉強の時間が無い。夕方はピアノ教室。

月謝を払って教室へ通えば良いと単純に思っている。

教室の前に「練習をしないから止めさせようと思う」と娘。好きになるように環境を作る。

娘がついて行かないときに三度ほど私が同行した。

教え方の上手な先生だから、教室では上手くできるのである。

それで十分と思うのだが、強制すると逆に嫌気がさす。先生にも、言われたようだ。

止めるのはストップしたようだが、分かっていない。

孫娘と話をして、経緯はわかったから、宿題を済ませたら、デザートを食べて帰すことにした。

最近のテストの結果もやや下り坂。やる気がなくなっている。叱ってばかりいると勉強も嫌いになる。

二階の子供部屋を親が寝室に使っているから、勉強は居間で、テーブルの上は、散々たる状態で勉強する場がない。

仕方なく座って絨毯の上で書き物をする。勉強しなさいというなら、出来る環境を作るべきだ。

弟が飛び回り、テレビが点けたまま。手術後の大事を取ってか、横になっているママ。

今夜も母屋に来たくなるのは当然だ。今日の宿題はパパへの手紙。

父の日近いからだろう。その返事を少し父親が書くところがある。

それをパパに渡し、書くように、もう一つの宿題はこちらですることを伝える。

私は教えることはプロであるから、やる気を出させるなどは朝飯前である。

甘やかすからとやきもち気分でだけ判断する両親である。

名古屋時代は小学生から、大学生まで教えていた。その成果たるや、名高い存在だったのを娘も婿も知らないか、分かろうとしない。

子供をとられると思うらしい。最近のテストの結果を全部見た。彼女の欠点も見つけた。

嫌いになりつつある勉強だからみが入っていない。

もう少し親と話して、私が関ることを始めようと今夜思った。

納得させて、宿題を済ませ、家内にデザートを用意させて、それが食べ終わり次第帰した。

今夜の食事を聞いたら、白いご飯に、卵焼。これが成長盛りの子供の食事である。

戦時中を思い出す。作るのが嫌いなのか。婿は台所で食器を洗っている。

娘は居間で横になっている。我慢して帰る。孫娘と弟が哀れになった。
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霧雨
天気予報り通り、明け方から降りだした。

愈々、明日、明後日も雨のようだから、入梅か。

救急車騒動の娘は、夜九時過ぎ、婿が帰宅するや、買い物に出かける。

子供を寝かせる時刻。遂には、姉を叱って泣かせ、母屋へ孫娘は救いを求めて来た。

黙って、風呂へ入れ、こちらの寝室へ。顔を合わせると私が娘を叱る事になるから、携帯電話でメールして何も言わず「こちらへ泊めるよ」とだけ送信。

了解と返事が来たところを見ると反省していると解釈した。

昨年四月から二年目に入る。娘一家との同居である。

孫が可愛いと喜んでいると、その代償が大きな騒音となって返ってくる。

特に、娘の我侭が増長するから不思議である。子供と同じく、自分も甘えたいのです。

長年甘やかして育てた貴方の責任です。と皮肉られる。

言葉、生活、門限と厳しい父親だったと自分では信じていて、それに従った娘。

現代子は金銭的な扶養が夫に変わると、態度が一変した。独立したから、私に従わなくても良いと思うらしい。

その上、夫は自分の言いなりになる。そんな時代の風潮を真似るのである。

日本国憲法で親を扶養しなくても良いと解釈するらしい。

何条を指しているのか聞いたことは無いが、戦後その傾向は益々強くなり、遂には親を殺すまできてしまった。

日本を骨抜きにする目的で連合国各国が作り上げた憲法である。

戦争放棄の第9条だけは守るとしても、改正必要な部分が多いのである。

大学時代の恩師が憲法学者で改憲論者だからではないが、私も改憲賛成派ではある。


まるで、飼われていた犬である。親子の情は姿を見せなくなった。
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救急車
朝、珍しく家内と整髪に出かけた。生憎携帯電話を忘れてもいた。

名古屋
の手芸材料店へも頼まれて中々行けないから、この際、寄り道した。

帰宅すると、娘と、婿から電話が入っていた。

ご近所の親しい人たちが心配して来てくれて「お2人ともお元気で良かった」という。

聞くと、娘と幼稚園の孫が救急車で座って乗っていたから、病人は私か家内と思ったらしい。

声をかけて出かけるのだから、そのときは何でも無かった筈。

手術後だけに、注意をしていた。婿が近所に仕事場があってきていたから、と言うものの、呼んだらしい。

2人に電話もメールも届かないから、手術で世話になった病院へ電話した。

「異常なく、ご主人と帰りました」という。昼時でもあり、何処かで食事をして帰宅したらしい。

「お腹がいたくなったので、癒着でもあるといけないと父さんが言ったからだ」と言う。

平素私の話を聞かなくなった娘が、自分の事となると腹が張った程度で、救急車を呼ぶ。

恥ずかしい限りである。大事無かったことに安堵はするが、情けなくなってくる。
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幼稚園の親子歩き
雨で野外は不可能となり、屋内で開催だったらしい。

私にも堂だといわれたが、仕事が山積していて、無理。

姉と゛語両親で午前中出かけた。昼は外食。強い雨の中、今度は名古屋へ。婿殿の親に父の日の贈り物を一週早く届けるようだ。

外での食事をする人たちだから、帰りは夜になるだろう。

午前中降り続いた雨は、午後2時ごろから晴れてきた。

太陽ぎらぎらの清んだ空気。大陸から変な空気が来ない気圧配置だからである。

今夏は大気汚染の光化学スモックの心配が多くなりそうな気配。元凶は中国だから始末が悪い。

長年の台湾元李総統が帰り際に、中国の過激分子にドリンクのビンを投げられた。

台湾の独立を支持しているからだという。
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昨日は夜まで多忙
最近、頼みごとがあると、孫が言ってくる。否、娘が言わせてくる。口下手は分かるのだが、夕方買い物に行きたい。

SCのカード割引、父の日の買い物。子供の興ずるカードゲーム。

風呂前の私に風呂と夕食が済んでからと言ってきた。気配りの積りだ。

私の健康法は規則正しい生活。特に、食事の時刻は正確だ。

食後は動きたくないから、6時に連れてゆくことにした。孫のケーキは売れ切。ゲームも混雑。その間、娘は買い物。

下の孫が終わって尚、二度目のゲームがしたい。何時も限りなく繰り返しているようだ。

姉のスイミング中がそれだ。私は約束以外は 甘やかさない。大声でわめくと希望が叶うとい習慣を正そうと、昨日は言って聞かせて、妥協しなかった。

ケーキを他の専門店へ買いに行くこととなる。車で娘を待つ間、孫娘が言う「父の日は何時?」「名古屋のおじいちゃんに買ってたよ」私が「そうだ、パパのおじいちゃんは買わないとね」「どうして、じいじに買わないの」

無駄は不要と私たち夫婦は遠慮することにして何年か経つ。子供にはその含みは無理である。心配なのだ。

帰宅して間もなく、娘がプレゼントの品を持ってきた。父の日の両方の分を買ったらしい。

「無理しないで、良いんだよ」と言ったが、悪い気はしなかった。物ではなく、心が嬉しいのである。

隣のトイレの窓に灯りが、孫娘と知ったから「Cちゃん!これご覧」と包みを見せた。

「じいじのだったんだね」と安堵した孫娘。大人の感覚で、無駄と思ったしきたりも、子供の心を考えて行動すべきと反省した。

結局、私の夕食は風呂の後、8時半を過ぎていた。平素の二時間遅れである。

食欲半減。家内の気遣いで、付けてあったチョコ一杯の日本酒(食前酒)も苦くて、三分の一を残した。

残した仕事を終えたのが一時過ぎ。私の日課が終わった。
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降りそうで降らず
朝から薄日も差す天候。午後三時過ぎからぽつぽつ降り出す。蒸し暑いから、夜は大雨の心配もありそうだ。

北関東に豪雨と聞く。

誕生パーティーの五人の客に妹が一人ついてくる。一人はピアノの稽古で1時間遅く。

ケーキは暑い時期だからアイスクリームケーキを注文して、4時前に受け取る。

弟を入れると全員8人である。広く作ったつもりの子供部屋も狭い。

南と東の日当たりの最も良い二回に子供部屋ほ設けたのだが、私の設計は今時とは違ったらしい。

今日は一人に一つだから、二部屋が要るらしい。新築の友人の部屋を羨む孫娘である。自分が書斎があるから、婿殿にとこじんまりした一部屋も用意した。

彼には無縁で不要だった。将来は大きくなれば弟の部屋になるだろう。

寝室にはいびきが大きいから休めない婿殿は夜は子供部屋で休むようだ。

セミダブルの立派なベットはママと子供の三人が占領している。

クローゼットも当時は大きすぎるものを二部屋用意して、他に、押入れ兼クローゼットで合計3箇所。

箪笥も嫁入りのときに奮発した桐ダンスには高価な着物も何枚も入っている。

数年虫干しをしたのは聞かないから、絹物は精が無くなる心配だ。

孫に受け継ぐ頃までは、大切にして欲しいのだが、ナフタリンさえ入れればよいと思うのが最近の人間らしい。

6時まで親たちに許しを得て来た子供たちは、帰りたがらない。延長してやりたいが、相手によってどうだろうか。
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大人でも遅い夕食
夜、九時過ぎまで子供に食事を取らせないで、父親の帰宅を待って、外へ食事に出る。

どんな栄養のある食事でも身につかない。こんな子供を持つ親があるのだろうか。
夕方早くママが2人の子を風呂へ入れているから感心していた。予定の行動だっのだ。

どんなに早くても8時を過ぎるパパの帰宅。それまで夕飯を待たせるのが非常識なのだが、子供が寿司を食べたいといったとか、パパが風邪だから、焼肉をというに決まっている。

同居してから、私の注意がうるさく感じるのだろう。今までの出鱈目が通らないからである。

近所の標準家庭では、子供は6時代に夕食。アニメの7時代はテレビを許すが、8時を待って就寝。

朝は6時か6時半起床と聞いた。私も納得の時間配分である。

同世代でもそれのできる親とそうでない親とでは子供の健康に差が出る。

一家団欒は週一に父親は我慢して、子供中心にあるべきで、子供を大人のおもちゃのように、勝手に不規則生活を禁じたい。

幼稚園では大きいほうだった孫娘が小学校へ入ると、だんだん小さいほうへ移動して。今では前から3番目になってしまった。

母親が小さいからそれも一因だが、痩せ過ぎは食生活の貧弱ゆえである。

母屋へ来ると、孫2人は、うなって我が家の食事をむさぼるのである。

野菜中心の日本的食事が好きなのである。父親は肉食に偏り、母親は好き嫌い。特に2人は野菜の嫌いなものが多すぎる。

学校と幼稚園の給食が栄養補給の主役なのである。母親の不注意からだが、料理が嫌いなのだ。

今朝の食事を聞くと姉は卵かけご飯。弟は納豆ご飯。時に、インスタントの味噌汁かスープである。

言っても聞こうとはしない娘。婿もそれに順ずるから同様である。外食方が家の食事より美味しいというから、情けない。

日本人全体が西洋食に移行して病気が増えているのである。
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9時過ぎ帰宅の婿殿
多忙な一日。仕事場から戻ると婿殿の車があり、風呂に電気が点いていた。

昨夜の発熱で出勤。帰ると風呂と言うから驚いた。

学生時代アルバイトで働いているとき、高熱にもかかわらず、日本橋から新橋まで歩き、都電で麻布十番までふらふらになって歩いたことを思い出す。

痩身のどこにそんなスタミナがあるのかと、バイト先の社長をうならせたのを思い出す。

若さもあるのだが、病は気からと言う。気で負けると、病魔の突き入る隙を与えるのかも知れない。

滅多に風邪も引かない彼だが、一晩、汗を一杯かくことで、熱を出してしまうようだ。

娘と子供たちはインフルエンザの予防注射を打ったのだが、二度も風邪。B型も引いている。

私と家内と婿は予防注射もせず、風邪も引かないでこの冬を越したのである。

関東地区の大学のはしかもその後聞かなくなったから、収束したのだろうか。

今夜は徹夜。その間のこと休みに、PCの前に座っている。
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夕方早々帰宅の婿殿
風呂から上がった孫娘が飛んできた。「パパ帰って来たの」「風邪といっている」

居間に横になっている彼は赤い顔。熱があると判断。額に手を当てると「そんなことしないで」「風邪なんだから寝ていれば治るから」と娘。

10日の入院の間、仕事と帰ると病院での疲れが風邪を呼んだと私は見た。

薄情な娘に「洗物はさせるな」「何かあれば夜中でも起こしなさい」と言って戻る。

夕方から幼稚園の疲れからか下の孫がこちらへ来て寝てしまった。

目を覚ましたから、家内と風呂へ入れと言うと、私と入ると言う。出たばかりだが、再度、入浴。

頭を洗うとき両親はキャップをしないと洗えないという。「ばあばは頭が洗えない」
「じいじと入る」という。

耳を押さえて、シャワーで前後に洗い流す。わたしの膝を椅子代わりにして横にして流す。

姉も長年そうしてきたから、弟も同様である。

出るとこちらで夕食もと言うので、「パパが返って来たから」「お熱だから、お姉ちゃんと看病しなさい」と言って帰す。

「分かった。水枕で冷やすんだよね」と言って急いで帰る。

姉はパパの横で甲斐甲斐しく看病の姿勢。ママが薄情で駄目な分、子供たちが優しい。

A型だけは子供たちも罹っていないから、いささか心配だが、兎に角、パパの休養に専念させた。

今の若い女房はこんなのだろうかと、あきれてしまう。最後には「私の家庭内のことに口出ししないで」と来る。

半月前まで、入院と手術で皆に苦労かけたことは忘れているようだ。

親戚の嫁も似たような女がいると聞き、世の中が狂ったのかとも思った。
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早慶戦
昨日の負けを取り返すが如き高得点。ハンカチ王子斉藤君も好調に6回まで。

伝統の戦いのプレッシャーに流石の王子も100球で、ダウン。

紺碧の空が何度も聞ける今日は勝ち戦。胴上げを二日目でみる慶應には気の毒。

二年連続の制覇は心地よい。久々に「都の西北」の校歌を学生と共に、テレビの前で歌う。

在京ならば、新宿の飲み屋で、学生諸君にビールをご馳走したであろう。
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昨日6月2日
73才の誕生日だった。歳なのだからわれわれには不要と言い出して何年かになる。

正直な娘はそれを守っている。孫娘は何時頃からかわれわれの生年月日を覚えている。

昨日、授業参観日に出かける両親、特に、父親に「今日はじいじの誕生日だよ」と言っていた。

「お昼食べないでいて下さい」と言い残して小学校へ出かけた。

一昨夜、孫娘は私の顔を写生した。出来上がるまで見てはいけないと言いながら、20分程で仕上げて、渡してくれた。

ハートが一杯の手紙と私の似顔絵。嬉しい嬉しい孫の贈り物だ。

午前中の時間指定の宅配便が着いた。恒例のように毎年頂くこの贈り物。

Sさんからだ。好物の甘いものを選んで下さる。大阪の銘菓である。

その心が嬉しい。

甘いものを滅多に口にしない孫娘、その弟は甘党。

仏様に供えるのを待って、二人が飛びついた。栗の入った高価なものを姉は。羊羹が好きな弟は冷菓。

ケーキにろうそくが誕生日の菓子とおもっいる彼らには珍しく映るようだが、高級な趣と送る人のこ心は伝わるらしい。

二人揃って「じいじ おめでとう」73てどんな数と聞かれて、よくも永らえたとわれながら感心した。

娘は同級生の結婚式が名古屋の神社で挙行されてのお呼ばれである。

パパと子供たちも名古屋へ行って待つようだ。この名古屋一番の神社には、私の茶碗が奉納されている。

関心のない娘は知ってか、知らずか。奉納祭をして頂いて、同席者数人は友人知人から選んだが、家族を選んでおくべきだったか、今頃後悔している。

奉納祭の舞のタブーの写真を撮ってくれた画家、国会議員の選挙参謀など会食事の写真は残っている。

宮司他二名が神社側、同行者三名と私が招待されて会食。宝物殿を案内された。

同じ日に奉納日本刀の相槌を同行者の日本画家が打たせてもらったのも良い思いでとなった。
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新設の光ケーブルの勧誘に
申し込んだのが間違い。線が来ないのに勧誘している。

我慢ならず、キャンセルして、NTT西日本へン月足らずに昨夕、繋がる。

今朝から設定して、正常になる。
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