2007年09月の記事


今夜から婿殿の母親が泊まりに来るらしい
夕方の孫娘のスイミングクラブ送迎に娘から聞く。孫たちは「ドラえもんのおばあちゃん」と呼んでいる。

従姉妹が呼んでいたのを覚えたようだ。弟のところで何日かいて、うまく行かずこちらへくると言う。

兎に角、こんな時でないと親孝行はできないから、頑張れと娘に言う。

われわれにできることは何でもしてやろうと思う。

そのために、完全別棟の独立ニ世帯住宅を建てておいた。

大変なこととは思うが、親も子も忍耐である。

ただ、われわれに遠慮しないようにくれぐれも婿殿と娘に言い聞かせる。
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昨夜右足の甲が突然腫れた。
こんなことを経験したことはないので、些か驚いたが、立てひざで長時間仕事をしたための血行不良。

エコノミック症候群の仲間入りだと笑っていた。氷でひやしたが、ずきずき痛んだ。

今朝は痛みは取れたが、腫れは引かない。

水腫とか浮腫とか。医学的には足背の浮腫と言うらしい。

リンパ性水腫もあり、人間の体の不思議を思い知らされた。

病院だと整形から内科へまわされ、結局分からないというのが多いと聞く。

時間がないから、しばらく様子を見ることにする。
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30度近くまで気温は上がるが
空気は爽やかな秋風。暦は正直なもの。

暑さ寒さも彼岸までとは昔の人はよく言ったものだ。

運動会予備の日。今日はそのため給食のない小学校。姉は早く帰宅。

幼稚園の弟はおでこに大きなこぶを作って帰ってくる。遊んでいて、鉄棒で頭を打ったという。

冷やして幼稚園で手当てはしてくれたが、帰宅しても冷やす。

姉は英語の塾へ。宿題をどの塾も出す。帰ってからも宿題に追われる。

プリントで教えるのなら塾は不用と娘に文句。会話を習いに生かせたと思うと、今度は読み書き。

大文字、小文字、筆記体に活字体の基本を教えていない。

娘が宿題の手助けを横で見ていると、単語を間違えて威張っている。

子供の前では言わず、後で注意する。水泳は昨日で一時休ませるという。

意味が分らない。行ったり止めたりは何でも半端な人間にすると叱るが聞こうとしない。

最後は自分の子だからと親面する。この年代が駄目なのか、娘が駄目なのか判断に窮する。
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新旧交代
安倍首相最後の閣議で慙愧の念を語る。健康でなければ勤まらない首相。

評論家の酷評には首相の資質を問うなどという人もあるが、病気を知らぬ人間の言。

健全な精神は健康な肉体に宿るという格言通りなのである。

志だけでは正義派貫けない。責任云々の言は私は嫌いだ。

まして、弱っている一個人として、安倍氏を哀れむ心を、いや労う心がない人間を私は軽蔑する。

午後、衆参両院で首班指名があり、福田首相が決定は間違いない。

派閥優先とか老人パワーとか批判派様々だが、批判ではない。国民のために安定した政権を持続させることが国会議員の責任であろう。

国会中継の衆議院議員の投票風景で、知らない顔の増えたことに驚く。

これが国会議員かと疑いたい顔が多かったのも失望する。
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連鎖反応か
親が夜も安眠できない時代か。

凶器の斧は先日も在ったような気がする。

仕事の多忙で、彼岸の墓参が行けない。気になっていたら、今日、甥一家が来て、お参りしたという。

我が家の墓地の後継をさせたのだから、当然とは言え、若いが信心は感心。
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親子に代の首相
予想通り福田氏だったが、麻生氏が善戦。

党の安定を議員さんたちは望んだのだろう。

全国党員の票は殆ど同数に近いのには驚いた。

福田氏330麻生氏197
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墓参へ行こうと思いながら
一日出かけた娘一家に言わなかったから、無理だろうと思うが、もしかして。

夜8時杉だから早い方か。こちらは仕事に夢中。

機構と思ったら、休んでいる。
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小学校の運動会
昨夜二週間ぶりのお泊り日だった孫娘の今日は運動会である。

プログラムを見ると大半が団体競技、寧ろ、競技ではないデモンストレーションだ。

走るのは選抜されたもののリレーである。

物足りなさで、見に行く意欲をそがれた。

両親が行くから、私は途中でかけよう。
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ムカデ
今日も33度ぐらいは上がったのだろうか水銀柱は。

幼稚園の送迎バスで子供の迎えに出た父兄。ムカデを見つけて大騒ぎ。

娘が呼びに来た。何事かと思えば、ムカデがのそのそと歩いている。殺虫剤をかけても動いているから、何とかしてくれと言う。

飛び掛るとでも思っているらしい。サンダルでたたくが、びくともしない。

今度は力任せに踏んづけた。ようやく御名御璽。

我が家の庭でもみつけたが、15センチはある。丸々と太っている。

田舎育ちの私は鉢などは巣を作らないうちに退治する。巣を踏んづけて、集団で来る奴は怖いが、少数はたたきつければよい。

時には昆虫用のタモで捕らえてつぶす。最も厭な奴はナメクジである。

盆栽棚に現れると、夜中に懐中電灯をもって探して、捕獲する。

塩を振りかけておくと消えていなくなっている。融けるのである。
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土曜日が運動会
練習で疲れ気味の子供達。予行演習は一度した覚えがあるが、毎日、毎日練習した記憶はない。

マスゲームとか団体ものが多いからだろうか。

月曜日から木曜日まで習い事やクラブで一杯の孫娘であるが、空いた金曜日が彼女の唯一楽しい日。

友人宅か自宅か交互に親友何人かと遊ぶのが楽しみである。

今日も近くの友人と交渉。返事は親同士のメールで決まる。

これも昔と違うところか。われわれの時代は学校から帰ると、カバンを家に置くや否や、外へ飛び出して、友人達と遊び、暗くなって帰宅する。

勉強しないことでも、兄弟の中で有名だった。先生が兄より期待を示すと母は必ず「大丈夫です絶対勉強しませんから」と答える。

兄が秀才だと思いたいのかもしれなかった。父の法事で兄の小学校の担任の先生が来て下さったことがある。

家内も一緒だったが、われわれの隣に来た先生が、家内に言った。

学校で常に一番の兄さんと皆さん思っているようですが、学校が最も期待していたのは貴女の旦那様だったのです。

聞こえたらしく、母と兄は変な顔をしていた。自分を神童と呼ぶほどの兄だし、母もそう思っていたからである。

家内が私に聞くと私は「あれは先生が隣の私にゴマをすってくれたんだね」と笑い飛ばした。

勉強して成績が良くなるのは当たり前、学校の授業だけは真剣に学んだ。ある時、先生が「君の真剣なまなざしは、恐ろしかった」と。

優等生スタイルは大嫌いで、悪さもし、誰とも仲良い友達だった。

野山を走り、池や沼や渓流がプールだった。勉強をしろと一言も言ったことのないのは父だった。

中学になると雑穀の買い付けの父の手配の車と同行した。16貫、18貫の俵を背に黙々と働く父が好きだった。

懸命に私も担いだ。最初は父の手助けで背中に担ぎ、運んだ。いつの間にか、俵をたてにして、反動をつけて担ぎ上げるコツを覚えた。

大きい体ではなかったが、相撲部のキャップテンで、人より鍛えていた。

高一のときの運動会で俵担ぎ競争があった。50mを担いで走る競争だった。

体格の良い三年、二年から選抜された大男揃いであった。一年から出るものがいないから「俺が出よう」というと、クラスメートは「怪我するからやめろ」という。

笑って、スタートラインに立った。よーいドンで前においた俵を横に持って腹に乗せて走るもの、背に乗せるものとへっぴり腰が多かった。

一気に右肩へ担ぐとコールへ突っ走った。一等賞だった。

観衆のすべてが、驚いた。しばらくしてからだった、拍手が起こったのは。

同級生はぽかーんと口を開いていた。

人と同じことが嫌いだった。人前で勉強する振りは特に嫌った。遊ぶことは率先した。

今の子供達がかわいそうでならないのである。
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無花果
毎日数個が完熟する。学校から帰ると孫娘が冷蔵庫で冷やされたそれをうまそうに食べる。

我が家の鉢植えのイチジクなのである。三年前に真向いのコーポの住人が置いて行ってくれた。

彼は果樹園の会社勤務だったらしい。

何年になるだろう。向側の空き地に12軒ほどのアパートが建った。

近所と一騒動してようやく完成した。建築やが悪いのだが、私が三年間毎日、岡座へ通っていた頃である。

住人は町内会に誰も入らない。これも管理する建築屋の差し金。

私の前の道を挟んで並んで発ったのだが、戸を開けると、私の門の出入りの際、顔が合う。

ビシャット戸を閉めるのが半数以上。ぽっしり頭を下げるのが二人。

ところが門の真正面の右端の若夫婦はにこやかに「おはようございます」「こんにちは」と挨拶ができる。

偶然顔を合わすのだが、ある日、転勤で引っ越すことになったから、この鉢植えのイチジクを貰ってくれないかという。

お礼と選別の意味で、私の小作品を差し上げた。

忘れた頃、年賀状が届いて、千葉へこしたから、東京へ来たときに是非寄ってくださいと書いてあった。

奥さんは韓国人と後で知って、常識の持ち合わせの若者は外国人だったと知る。

私の小品は家宝ですといってくれた。日本の若者たちの情けない非常識を改めて知らされた。
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三日休んだ朝の子供達は登校、登園の足が重い。
姉は二年生だから、厭といったことがないが、弟の年中組みは、帰りは2時にお迎え、即ち私が車で迎えに行く。

それを約束して送り出した。今日は遠足で隣町の公園へ出かけた。

2時に迎えに行くと、さすがに顔に疲れが出て、汗びっしりの姿。

ママは名古屋へ義母の見舞いに行っているから、家内と私が迎えに行った。

五時から六時は姉の塾である。東京のF先生との連絡で留守をしたくないのだが、携帯電話の番号をお知らせした。
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夜のテレビで溜飲を下げた。
無差別は男女共に金。塚田は銀を取っており、二冠となった。

男子は棟田康幸が金。谷亮子は留守の間の金銀銅の三人を破り堂々の金メダル。

七連覇の偉業。トリテ争いが醜い最近の柔道で、足だけで大外を払った谷の業には脱帽だった。

陰の猛特訓は知らない人が多いのだろうが、栄光の陰には並々ならぬ努力があるのだ。
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正午のニュースで分かる
ブラジルのリオで開催の世界柔道選手権。昨日まで不成績だったが、女子48K級で谷と男女無差別は日本選手が金メダルを取った。

ようやく日本の面目か保たれた。初日の男子重量級ではミスジャッジの不運も確かにあって、本命が敗退した。
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昨夜四日市の商店街諏訪で火災
十何軒が全半焼した。諏訪と言えば、現在のイオン、先日までのジャスコのルーツの岡田商店の在ったところである。

伊勢湾台風後だから、昭和40年近くだったろうか、旧商店街から岡田やが移転すると話題になったものである。

それが今や、ショッピングセンター日本一になった。一族の優秀さと老舗の伝統を生かした成功例である。
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スコールのような雨
日が差して、暗くらるとしっかり降る。しかし、短時間で止む。


日本では珍しい降り方。台風の影響なのだろうか。

娘一家は義母の手術のための、千羽鶴と曾祖母への敬老に出かけた。

われわれも、幼稚園の孫に園が描かせた2人の絵をみて、敬老の対象なのだと知った。

姉が描きたいのだが、時間が無い。明日きっと上手な絵を見せてくれるだろう。
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快晴から一転して暗い雲
難しい気圧配置の耀です。東に太平洋高気圧が西進。日本海へ前線を伴った低気圧。

南西の沖縄に台風11号が北上して朝鮮半島を狙っている。

これらがどう動くかで天気が決まる。これに上空の大気の流れが影響する。

気象官泣かせの天気である。

今は暗雲。今にも降りそうである。娘は孫二人を連れて午後の宗教当番。

娘の義母は金曜日に手術。千羽鶴は今日皆で折り終えた。

願いを込めた鶴にご利益を願う。
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東京のH先生からFAX
新作を送ってくださることになる。銀座で完売の秀作なのだが、岡崎では理解できないモダーンな作品である。

毎年初日に手で下げて来て下さるのだが、大変だから、郵送でお願いする。

展示の方法の青写真が出来上がった。今回は先生に会いたい作家が初日集うにぎやかなテープカットになりそうである。
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午後作品集めに出かけた。
地元ののKさんの教室。出かける前に安倍首相辞任のニュースが出始めていた。

教室で出展者数人と会う。市民センターの新任所長と紹介され、車一杯に皆運んでくれる。

ついでに近くの友人H氏の会社へ。焼き物関係ニュースを得て、写真家y先生宅。

作品を預かり、雑談。両方ともに話し込むと一時間以上になる。

5時だが、銀行に電話。預けていた通帳を裏口で受け取る。

孫娘の帰宅時刻は家内に迎えを頼み、英語の塾は娘がバスと徒歩で送迎したようだ。

昨日から私の車が使えないことで、孫達が可愛そうな結果となる。

娘が運転しないのも原因だが、私と同時に運転免許は取ったものの、不適格と私が判断。運転させないからでもある。

この地はそれほど車がないと動けないところではある。

相撲はどうなったか。首相辞任でテレビ放送も狂っている。
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昨日の日記は書く間もなし
朝から夜まで動きっぱなし。PCの電源落とさず、横になってテレビを観ていたら、眠っていた。

煩い音で目覚めたら4時テレビもつけたまま。疲れたのだろう。

義理の展覧会が二つ。その前後が賑やか。自分のことだけなら、これぐらいは朝飯前のこと。

出掛けに、もたつく娘と孫の習い事と塾。下の子は連れてゆけない。

帰路はワイパーが役に立たないほどの大降りにも、疲れる原因はあった。
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第168回国会開会
愈々、与野党激戦の火蓋と言うところだが、賛成と反対だけの単純な結果論ではなくて、内容をよく論じ合って結論を出して欲しい。

国民は皆それを望んでいる。勿論、一部公務員の不正は断固質さねばならない。

役所ぐるみの不正だから、個人の問題では収まらない。責任を追求して、二度と起こらない策を講じて欲しい。

若者が将来を信じられなくなったら、お終いである。

国際貢献というより、シーレインの安全を守ることは、石油の大半をインド洋軽油で運ぶわが国にとって、必要欠くべからざることである。

一部にアメリカ追随とか、イデオロギー的な主張も耳にするが、狭義の判断で方向を間違わないで欲しいものである。

双方の意見を互いに論じ合って、日本にとって何がベストなのかを見極めて欲しい。
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朝雲が多い時刻
今頃から強い陽光。西は暗く曇天。

庭の草むしりをした。蚊が多い。子供たちが刺されると何日も痒がるから、娘は蚊に神経質である。

田舎で育ち、薮蚊やブィに刺されて育った私は、何箇所かさされてもびくともしない。

それでも今朝は煩い蚊の群れだった。スプレー片手に、一気に刈り取った。

鎌が気に入らない。研いでも研いでも切れ味が悪い。なまくらが多いからだ。

近くに鍛冶屋があって、鎌なども彼の作ったものを使っていた昔。

10畳程度の庭なら数分で刈り取ってしまう。手首を使って土面に平行に払う。

都会では煩い草刈機なるものを使って、小さな公園を一日二日とかかって刈っている。

現代人は不器用になったものだ。鎌と言えば、昨日、近くで鎌を振りかざして人を襲う50代のの男が逮捕された。

誰でも良かったという。襲われたのが仕事帰りのご婦人だった。

食うに困って、豚箱に入りたかったという。変な人間の増えたのも現代だ。
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アメリカからN氏帰国
教師代理のYさんがまとめてくれたが、彼のもう一押しが必要。

来週は彼の一年ぶりの個展の前夜祭。久々に出かけるか。

その前にK氏に紹介した土屋さんにも会いたい。

親切どころか、誠心誠意k氏の仕事に協力してくれたお礼も言いたい。

また、K氏が移転先を探している。三年ぶりでIさんに会って、広い山の一角を貸してやってくれるように頼むつもりだ。

人の役に立つことが私は嬉しい。
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昨夜は孫娘のお泊り日
二週間に一度になったから、久しぶりである。

満足して午後、名古屋の日本舞踊を観に、母親と二人。切符が二枚しかないのだが、合ったにせよ下の孫は行きたくないと言う。

留守番して、われわれと居たいのだ。ショッピングセンターでカードゲームを二度。

今夜のご馳走は何が良いかと買い物。幼稚園でも結構自己主張は出てきた。

夕方早く眠る癖があるので、早めに風呂へ入れ、早夕飯。

6時過ぎから眠りだした。姉と同じにお泊りがしたい。「じいじにお願いして」と家内に頼んでいる。

土曜日は娘一家は外食なのだが、彼は今回外れる。
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展覧会準備に明け暮れる
月曜日が締切日だから、集中して、問い合わせ、申し込み、多忙を極める。6日に帰国と電話で話したN氏だが、「今何処」との問いに、「アメリカです」「6日に帰ります」

それだけで切れた。電話代を考えるからだろう。帰国なら架かると思って架けた携帯電話。

日本とアメリカを又に架ける彼だから、電話も海外もOKを使っていた。

6日があちらの6日なのか、日本の6日七日分からない。

彼のお弟子さんたちが20人近くいるから、その動向は壁面の調整を左右する。

月中に個展があるからそれ前に帰国とは聞いていた。

こちらの締め切りにも間に合った。
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二階のPCの部屋は今36度
北向きだからとエアコンがない。ノートとデスクトップと2台がうなっている。

NECが最近音の静かなPCを発売した。ファンだけに頼らず、水冷とHDDの温度を吸い取る付属品を加えたらしい。

多数のPCが働く職場で大きな問題であろう。

留守はできないが、動かないと困る。それに孫の塾、スイミングと金曜日以外満タンである。

教育ママの娘の仕業なのだが、パパと私の意見も聞かない。

バスで行く、歩いて行くと口では言うが、孫可愛さから、それを見過ごさない私を知ってのことでもある。

これも今流行のキレル30代らしい。夫婦の言い合いを聞くと二人ともキレているときがある。

別な面で言うと、自己中心で者を考えるそれがならないとストレスになる。

理解しにくい言葉ストレス。これも私には縁とおい言葉なのだ。

くよくよ考えないのではなく、何でも真摯に取り組んで、後は天命を待つ。

昔の格言、「人事を盡くして天命を待つ」結果はさばさばしている。

みんながそんな暢気ならば問題ないのだろうが・・・
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テレビは朝からどまんなか祭りステージ
今まで見てのでは、今朝の子供達の「スナメリ」ダンス。

テレビ愛知の番組である。

昨日は朝から、電話を架ける。架かる。座る間もない。

締め切り近いわが会の展覧会。人間国宝の徳田先生出品作品写真が届いて盛り上がる。

長谷川先生の全国から選抜作家さんたちも殆どが喜んで参加。

目録半数近くが埋まる。今朝までPCは電源を落とし忘れていた。

外付けハードディスクは回り放しもあり。その横に、作陶の仕上げ工程のものがあるという。

我が家はフル回転。

10月の展覧会か終わると当市の美協展示会。授賞式。

同時のスケジュールに豊川で当会の代表選抜展示のあったことを忘れていた。

体が二つ欲しい。どちらかを欠席となる。
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小中学校始業式
手提げ袋一つで、皆元気に登校。

天気も良し、さあ、こちらも展覧会準備。

近く、掲載できる人間国宝T先生の作品写真。

心洗われる。
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日曜日なのに携帯が鳴った
何時の間に出かけたのか娘からだ。今とっているビデイオを切り替えて1ちゃんるでまたとって欲しいと言う。

日曜日は漫画オンパレードである。我が家の孫二人は「げげげの鬼太郎」が大好きなのだ。

朝の小雨は止んだが、曇天。日曜日で出かけない日がない。

有難いことに車のガソリンは会社持ち。安易に遠出ができる。

よその子供も毎日曜日遠出するのだろうか。

明日から学校である。早い帰宅を期待するが、夜、外で食事を済ませて帰るとまた、10時ごろだろう。

人生遊びの西洋風が娘の時代の風潮になってきたらしい。

遊ぶことが恥ずかしい、怠け者的思考はわれわれ世代までかもしれない。
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二百十日。旧暦でそのように呼んでいた日
防災の日、安倍首相が警戒宣言を発して訓練が開始された。

どうか、訓練で終わって欲しい。私は伊勢湾台風に遭遇した経験を持っている。

幸いに命は助かったが、多くの知人の死亡を知ったのであった。

都市の半分近くが水没したのだから500人以上が亡くなった。

悪条件が重なったのだが、海に関係していた仕事のわれわれでさえ、強烈な台風の実態と進路を知らずにいたのであつた。

気象庁の責任の重さを知った。以前に、注意を喚起していたら、あれほどの被害を出さないで済んだと思うからである。

就職したその秋に名古屋へ転勤。その月末に被災したのである。

以後、親戚や知人では私は嵐を呼ぶ男と称された。

自分の社宅の荷物は一ヶ月以上放置して、取引先や知人の見舞いに奔走した。

その後、落ち着くと、船乗り達が大勢で社宅の片付けをしてくれた。

縁の下は泥に埋まり、壁は潮の上げ下げで抜け落ちていた。

二軒つなぎの平屋の分譲住宅だったが、隣は新婚さんの住まいで、ローンを組んで購入したばかりの方だった。

住宅とヘンス他の修理を会社が行い。お隣分も全部同時に完成させた。

これは会社のお隣さんへの援助とした。

今、問題の賄賂を常とする高級役人とはわれわれは正反対の人の善意による民間ボランティアのようなものだった。

ボーナスを何度かに分割して支給する経理状態の船会社だった。

アメリカのミシシッピー川ではプロパンガスを積んだタンカーが往来している英字新聞をみて、社長に進言した。

飯野海運についで日本で二番目に、ガスタンカーを建造して竣工させた。

二代目社長で女性好きの英雄でしたが、早逝されました。

何年前だろうか。私が23才のときでした。
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