2007年08月の記事


ニュースはどこも朝青龍
それより大切なニュースは今朝の新聞で知った守屋武昌事務次官の退任後、常勤の顧問で残るという新聞記事である。

小池大臣に逆らい、形式的には退官だが、顧問に残るとはけしからん。

小池大臣と差し違えなら筋も通るが、何をしても役人だけは生き延びる。

夕方、新大臣の高村正彦氏が知らない人事だったらしい。大臣は知らないことと記者に答弁していた。

大臣の知らないところで、防衛省内の人事が決められる。

最も危険なことである。断固辞任させるであろうことを高村大臣に期待する。

外務大臣になって当然の彼。変なところへ就任されたと思った矢先である。

文民統制の問題である。決して許されない日本の安全だ。朝青龍の仮病などと同じ目で見ているなら、マスコミも無能だ。
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朝から雨、雷鳴も
 湿度は相変わらず高い。気温の低下は以前の猛暑日続きよりは、楽だが、秋風は期待できない。

この分かれ目の秋雨前線が過ぎると、秋らしい天候も期待できるのか。

問題の朝青龍帰国。彼の思うとおりになった。後ろで糸を引くのは本田という医師。
か。

精神科、外科とて、初めて朝青龍の精神面に触れた医師。肘と腰の不良はどこへやら。

あのときから異常を感じたが、今回のマスコミを撒きに巻いての脱出のような帰国。

本人はできることでもない。協会もこの医師を認めた理由が理解できない。

これ程の非常識を続けさせた親方に最大の原因がある。

モンゴルへ帰ると彼は英雄であり、資本家である。

日本への復帰は怪しくなりそうだ。何年も一人横綱で頑張った彼の功績は台無しになる。

原因が誰にせよ、親方より後に来て、搭乗し、降りるときは真っ先に。こんな非常識は日本では許されない。

言葉を一言も発せず、病気のせいにさせているのは本田医師だろう。

包茎手術が専門の医師と聞く。精神科は専門なのか。

朝青龍同様顔が気に入らない。私はこの人間を信用しない。私の七十余年の経験である。
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昼は曇天に時折雨
湿度80%蒸し暑い32度だ。夜に皆既月食はかけ始めはくもに邪魔される。

回復期の8時過ぎからどうにか雲間から見え始めた。
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36.1ドは関西と並んでまた日本一
嬉しくない記録ずくめの名古屋である。

元来、暑さでは日本有数の地ではある。
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空席が目立つロシアのサーカス
時代的に不人気なのか、体育館では内容に乏しいのか。

子供たちも感動がない。アイススケート人気。他の多種な出し物に見慣れた子供たちにはサーカスは古いのだろうか。

今でも耳に残る曲「天然の美」はサーカスの懐かしいメロディーである。曲も時代ともに変わり、われわれの時代は「シバタサーカス」「木下サーカス」だった。

夜、遅く帰宅は下の子だけを連れて。姉は先日の従兄弟の家に泊まる。

今朝、また、宗教行事で朝から。今夜も遅い帰宅。

正常な時間帯の習慣付けの暇がない。夜族になってしまう。
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ボリショイサーカス
娘母子は切符が手に入ったと三人で出かけた。夏休みにはまたとないことだ。

大相撲の会場になる名古屋市体育館であるが、近くの公園も利用すれば、動物達も着ているだろう。

私も子供のころの最も嬉しい思い出はサーカスだった。

滅多に見られない動物の芸や人間の技が不思議な世界を醸し出している。

孫たちの感想が楽しみだ。

昨日の涼しさとは別の暑い日がやってきた。
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朝から雨
佐賀北の偉業とサッカー、水泳と話題が尽きない。

昨日ほど、テレビの前にいたことはない。

今朝は朝青龍が診療所へ出向いたという。ふてくされとしか私は見ていない。

モンゴルの人間とは普通に話している。こここで譲歩することは、今後の大相撲の示しがつかない。

あちらでは英雄になってるのも、彼の脳みそを狂わせている原因だろう。

周囲がもてはやしすぎて、自身がそれについてゆけない。

そのアンバランスを相撲協会のせいにするのはけしからん。
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今日の名古屋日本で一番の暑さ
37.2度だったらしい。午後、雲が多くなって35度以下だと思ったが、案外の知らせに驚いた。

次第に不安定な雷雨の気配が見える。
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那覇の航空機事故
中華航空のエンジンの爆発炎上。90秒で160人あまりが脱出したという。

怪我人だけで、全員無事には感心した。繰り返すこの会社に問題提起する向きも多い。

左翼第一エンジンと報じていたが、そこからもれたジェット燃料が右のエンジンで発火炎上したらしい。

縁の深い台湾だけに、知り合いはいないか心配もした。

何年か前に台北から高雄へ国内航空に乗ったことを思い出した。

着陸がバウンドするように響き、無事着陸が済むと、乗客全員が拍手するのに驚いたものである。

それほど不安を胸に乗っているのである。おんぼろは説明なくても理解できた。

日本の使い古したセコ航空機を買っていって運行していると聞いた。

事故の確率は高くなる。私も車は結構古いものを使っているのだが、飛行機とくるまで比較にならないが、故障の箇所は増えてくる。

90秒での脱出を感心していたが、これが国際的に標準の速さだそうである。

名古屋の多数被害の他に200人死亡の事故が二度もある。

問題は大きい会社に違いない。鉄の塊が空を飛ぶとは気に入らないと、絶対飛行機に乗らない主義の私が始めて乗ったのがこの会社の台北行きだから不思議である。
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土日に従兄弟たちの宿題の習字
三年生の女の子と五年生の男である。三年から毛筆の授業があるから、セットをそぞれ持参していた。

墨はついているが、墨汁しか使わない。姿勢は勿論、筆の持ち方もできていない。硯に水を注ぎ、正しい姿勢で墨をすり始める。

ここから書道は始まる。姿勢もそのときからできている。

左右に筆を振り回す書き方にも驚いた。五年生の男子の筆は有名メーカーではあるが、腰がない絵筆のようなやわらかい筆。

私の一本を今後使うようにやった。親が値札を見て、驚いている。一万円は軽く超えている。

中国から安くてよい筆が沢山輸入されているが、大量生産の筆は先が平らに揃えてある。

妹は娘も手伝って欠かせているのだが、書道塾へ何年か通ったから基本は指導できる。

何年も書かないのと、元々、筋は良くないから、手を取って教えるのにも、子供の力の影響を受けて、形にならない。

振りに手を取って書かせて、それを体が覚えている間に、二三枚書かせる。

良いところは大声で「よし、いいぞ」と声を掛けると効果がある。

孫娘もその気になって三人が書き始めた。彼らを「よし、上手いぞ」と声を掛けるから、自分も頑張ろうとする。

前に、練習済みで、上手くなっているのに、この雑然たる空気で、下手になっている。

今日の午前中は孫娘の清書の日とした。市販の書道用半紙では余りにもお粗末。

山陰の手漉き和紙の漢字用を使うことにした。にじみやかすれが鮮明で、子供にも理解できた。

競書というから、どなたか知り合いの書家が審査かとおもったら、校長先生だとか。

教育大学は書に熱心だから、先生も書はたしなむだろうと期待している。

一年生にも入賞しているので、選ばれたのか、理由は分らないがうちの子は書、他は絵とかに分かれるようだ。

もっとも、うちの子は絵も出すらしい。
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那覇空港で中華航空機火災
全員無事を確認は正午過ぎ。

乗員一人怪我という。炎上は左翼第一エンジンから出火ということである。

名古屋空港の中華航空機事故が脳裏にこびりついているし、最も近い関係にある私は
知人がいないかも気になった。

沖縄と聞いて観光客が主と分かる。
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岡崎の書家神谷葵水先生逝く
岡崎で事業を展開した際の理解者。よそ者が城下町の封建的な古い都市へ出向くと言うことは容易ではなかった。

協力する振りをする偽者、様々だった。その中で老体を運んでくれた。

最も仲介に、中日新聞社の文化センター役員さんの骨折りもあった。

定年間近で、その役を受けて、当時、教室の生徒の減少に悩んでいた彼が、私の世界規模のとんでもない美術館開設に驚き、また、励みになったという。

毎週来ては、現代フランスの名匠、ル・サロン、サロン・ド・トーヌ、コンパレゾンなど有名な会の会長、名誉会長の名画はどこででも見られるものではない。

門外漢の彼は必死でその風を受けようと試みてくれた。

図らずも、本社の担当部長がまた、私と知己であったから不思議である。

岡崎の教室の人気の大物先生たちを交互に連れてきたり、勧めてくれもした。

そんなご縁で、できた神谷先生との縁は良い関係で続いた。

互いに主宰する会の催しを訪問し、干支や記念となる作品、出版物を贈呈してくれた。

町おこしの三年間は終わったが、イオンの大型SCができると、そちらへ恒例の行事として続いている。

市の美術協会の古い仕来たりを破れないで、私に愚痴ることも度々の大物先生だった。

愛知県ではトップクラスの書家であり、愛知教育大学で、また、書壇で多くの後継者を育てた。

岡崎で彼先生を除いての書壇は考えられなかった。そのお弟子さんたちも私との交流が広がった。

先生の筆による記念碑、学校、役所、他施設の碑は一体幾つあるだろうか。

見ると先生の筆になるものは私には直ぐ分ったほど、他に類のない名筆である。

我が家の先生の書物、色紙、作品は家宝になった。

葬儀が岡崎近くであったことを午後知った。

岡崎展の折に、線香を上げさせてもらいに参上する積もりだ。

奥さんとも親しくお付き合いさせていただいた。

私の作品も一つ欲しいと所望されて、お届けしたことがあった。
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孫の従兄弟2人
母親と3人来る。兄は6年生、妹は4年生でそれぞれ夏の宿題の習字の課題を勉強に来る。

孫娘と何時もの練習のときに、一緒にというから、午後皆揃ってから2人は見てやることにした。

習字紙も我が家にあるものでは良すぎてだめだから、朝のうちに娘に一般紙を買わせる。

中国、国産を問わず、和紙もピンきりで、人と違うものに書くと問題だ。

うちの孫娘はこ子供競書に出すものだから、根本的に違う。

審査員は誰か、市の美術協会メンバーの誰かであろう。

従兄弟たちのは夏休みの宿題の一部である。

それも、「あの2人はお習字は全くだめだから、教えてあげて、私からもお願い」と孫に頼まれて、今回突然の来訪者の面倒を見ることにした。

その場にならないと何も説明がない、できない娘であるが、それを孫がホローする。

世の中、よくできているものだと苦笑した。
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今日も暑くなりそう
朝の陽光は昨日より気温が上がりそうである。

お泊りの孫娘、遅くまで音楽を聴いていた割には早く、8時半に起きる。

体温を測ると34.9度やく35度が基礎体温だ。

昨日の36.5度は微熱か平熱か。夕方、再度測定の必要あり。

9:30家内の作っ朝食。カレーライス、味噌汁の好きな子だから、味噌汁。野菜はトマトにきゅうり。アロイヨーグルトのデザート。

たっぷりと食欲良し。医師の引き始めというのは間違いらしい。

咳と痰の状態は二次感染のそれだ。間に合うか我が家の特効薬の紅茶でうがい。
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17日は多忙だった。
旅の疲れか、従姉妹から貰ったか。

孫二人ともに微熱。掛かりつけの医院へ。

風邪の引き始めという診断。それでも娘は下の子だけを連れて名古屋へ。

帰って午後、姉の日本舞踊教室の予定だったが、帰れず、私が連れてゆく。

夏休みに特別、踊りの師匠たちが子供に教える市の行事である。

三回目の今日、大勢の中から孫娘は3人選ばれて、舞妓とう踊り。

難しい所作をこなしていて、驚いた。お泊り日だから、そのままこちらへ。

夜は熱も平熱になっていた。久々にしたいことをするから、11時過ぎまで眠れない。

親達もそれより遅く帰宅。多治見はまた、40.8度と新記録。

我が家は38.何度の名古屋と多治見の中間だから、39度近かっただろうか。
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予報の通り39.4度が名古屋
多治見と群馬県で40.4度は37年振りの記録更新。

嬉しくない気温。熱中症で亡くなるお年寄りが増えた。

部活の子供にも死人が。荷物発送に行き、孫たちにアイスクリーム、氷などを沢山買い込む。

スーパーから出ると、ぐらぐらするほどの温度差。
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予報以上に水銀柱急上昇
午前中に36度を越えた。39まであがるらしい。

陽光はまぶしいとか暑いではなくて痛い程の日差し。

午前2回、午後2回の潅水。盆栽の鉢は触れないほど熱くなっている。火傷しそうだから60度以上いや、もっとかもしれない。

頭から水で全体を冷やす。

旅の疲れか、10時近く起きた孫たち。午後昼寝は母親も静かである。

家内も扇風機でぐんなり。クーラー嫌いな人に今夏はきついかもしれない。
扇風機はPCの部屋、暑くなると寝室のベットでごろり横になってテレビ。

外へ出ると、玉のような汗。体温調節がgoodである。

職業柄、高い温度に強いから、夏にも平気なのだろう。

若いときサラリーマンを経験したのだが、冷房の効いたビルから外へ出たときが苦しかった。

電車もバスも待つ気にならず、タクシーで急いで帰宅の毎日。

このときが不健康だった。汗をかくことを忘れたクーラー病だった。
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終戦
昭和20年8月15日、日本は連合国軍に無条件降伏した。

米英から始まって、中国、最後に友好条約を結んでいたソ連が参戦した。

忘れもしない父の郷里に疎開していた私達は、本家の隠居所に住んでいた。

本家とわれわれ全員が中庭に集まり、玉御放送を聴いた。

音の良くないラジオで途切れ途切れナノと陛下の古典調の言葉は大人でも理解に苦しんだ。

「どうも戦争に負けたらしい」と聞いて小学校5年の私は悔し泣きした。

男は陸軍か海軍の大将になることが希望であった。

日が経つにつれて、徐々に真実が分かり始め、本家の伯父は男子に日本刀を一本ずつ渡した。

アメリカ兵が来たら、「女子を守るのだ」といった。

県で指折りの豪農であった本家は蔵が三つあり、表の蔵には、日本刀が数十本仕舞ってあった。

半月後それも撤収された。武装解除の一種だろう。

本家の伯父は悔しがって、裏の竹やぶで、試し切りをしていた。その上、どうしても出せないと、油紙に包んで、裏の藪の中に埋めていた。

後で知ったのだが、銘刀だったようだ。

私も選んだ仕込み杖は欲しかった。桜の皮で巻いた杖なのだが、抜くと細身の日本刀が仕込まれていた。

満州に軍の御用商人をして隆盛を誇っていた叔母の安否が母は何より心配だった。

何年か後、逃げる途中で亡くなって、叔父だけが帰ってきた。

母は自分だけ生還した叔父をなじったのを覚えている。

ソ連のぎりぎりの参戦と満州と樺太へ進駐して、悪さをしたことは今でも許せない思いである。

友好条約を結んだ仲だったからだ。子供もつれることができず逃げ帰った日本人は、満州に子供を預けた。

それが残留孤児である。叔母の話だと万人は人柄がよいということだったが、今日までわが子のように育てたことを考えて立証される事実である。

日本の軍部も広島、長崎で原爆投下で、敗戦を覚悟したようだが、陛下の御意思だったとも聞く。

武器もないのに、本土決戦といい続けた軍部の暴走はお粗末だった。

それを防げなかった政治家。多くの犠牲の上に終戦のあることを忘れてはならない。

いずこの例を見ても、戦争は人間にとって最悪の選択であることも知った。

空襲他と夏休みで学校がやすみだったが、9月登校をすると、今までの教科書を墨汁でよくない部分を消すように命じられた。

半分以上が墨で真っ黒の教科書となった。
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曇り空に霧雨
午後には青い空に白い雲。風もややあるが、湿度は高いらしい。

若者一家はパパの会社で若狭湾へ。今朝早く出たらしく、小生の睡眠中。

珍しく娘が、犬と後のことを家内に頼んで出かけた。

珍しいから天気が定まらない。安全な旅を祈る。

彼らの玄関に、見慣れた旅行ケースがおいてある。考えると私の使い慣れたケースだった。

海外へ行かなくなって3年以上になるか。婿が旅行のときに貸してやったものである。

気がついて私が仕舞うだろうということか。

先日、葬儀に列席できなかった当市の協会役員宅へ、昨日、お供えを届けた。

お礼の電話が入る。恐縮していたが、新盆でもあり、奮発した果物籠は喜ばれる。

禅宗系統はお盆のお供えが毎日大変だ。お隣さんは主が他界して二年目。

「おしょろいさんが大変」といっていた。
私の郷里は曹洞宗だったから、野菜の飾りとお供え、16日にはそれをわらで巻いて川へ流す。

最近はどうしているのだろうか。
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東は夏空、西は暗雲
西に熱低、東に高気圧が移動という配置なのだろうか。

不安定な旧盆の入りである。どこが休みでどこが仕事をしているか分らない。

帰省は墓参ではなくて、遊びと祖父母に会うためか。

高速道路で事故にあう家族。乳児を連れて2人子持ちが何故海水浴へ行くのだろう。

日光浴はタブーの時代が理解できずに海へ。

世の中、理解できないことが多くなった。

似たような家族は我が家にも・・・

昔から、若者と親たちのギャップはあっただろうが、これ程ひどいのは戦後の教育なのだろうか。

自発的な倫理などは程遠い人種には、法律で縛る強制力が必要なのではなかろうか。

熱中症で亡くなった寝たきり老人。その縁者は居ないのか。

介護保険で社会が面倒を見るのには限界がある。親と同居や看病する孝行息子には何かご褒美を。

子供を何人も生んだ親にはご褒美を・・・

子ども扱いのようだが、今様の若者には底からはじめないと、倫理などという難しいものは理解できないのではないか。

高度な良識の持ち主の立派な人々もいるだろうが、それが小数になったのが現代ではなかろうか。
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サーバーダウン
bloom-sはこの時間書き込んだ日記がアップロードできない。

gooの閉鎖前、大勢がシフトが原因であろう。他のgaiax系にも起きているのか。

gooの狙いはどこにあるのか。blogは存続というから、そちらへ統一したいのか。
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昨夜は11時過ぎに帰宅の子供連れ
親の仕事の都合もあったか、尋常な時刻ではない。

子供の生活パタンではないことが母親が理解できない夜族なのだろうか。

パパ方の墓参りとて出かけた。14日から日本海側へ一泊旅行なのだが、それ前に呼んでいる。

10時過ぎに出かけては駐車スペースはないだろう。昨日のわれわれは5時であれだから・・

子供たちは半分酔眼である。姉はかろうじて「お墓参りだと」と言う。

弟は「パパもママも抱っこしてくれない」と玄関にたたずんでいる。

「おんぶしよう」と私が言うと「抱っこ」という。どう違うのか分らないが、抱いてパパの車に乗せる。

全員、呆然。「お早うございます」と言ったパパだけが正常である。

異常高温の日中に子ずれの墓参はどうかと思う。墓参は良いことなのだが、時と場合の区別ができない。
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猛暑は全国的
38度を越える記録的な暑さ。昨日の天気である。

安倍首相組閣に入る。大物起用の傾向が見られる。

朝青龍問題もたつくが、親方のだらしなさが目に付きだした。
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名古屋37.2度多治見37.8度
中間の我が家は37.5度と言うところだ。

今夏最高気温。しばらくこの高温が続くらしい。

暦と天気が少しずれ込んだように思う。シャツを一日に3枚ほど取り替えた。

シャワーを浴びては汗。また、シャワー。
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36度は軽く越えそうだ。
立秋すきて来るのは、今年は梅雨明けも遅れ、夏がづれ込んでいるのだろうか。

外出は控えるが、夏休みだけ曜日と時間が違うピアノ教室。

自分たちで行けとはいえない。送迎は勿論車である。

2人で各30分。一時間の練習に娘が行けるようになったから、私は送迎だけである。

エアコンのない部屋でPCだから、数日前から扇風機を回している。

皆が言うほど、暑さにストレスを感じない私は自宅にいるからだ。

汗をかけば、シャワーで流し、何時でも着替えができる。

暑さに強いのは職業柄でもある。
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暑中見舞いは滑り込みセーフ
暦の上では今日が立秋である。残暑見舞いに変えなければならない。

土用が終わると秋と言うわけである。
処暑が23日だから、逆な気もするが、実際の天候はあっているかもしれない。

今朝は一汗かいた。付近の子供会が長年続けている新聞と雑誌回収の日。

今までは父兄が集めて、業者が取りに来る。最近、古紙の人気が出たからか、役員が交渉が上手かったのか。

業者が一軒一軒トラックで回って積み込んでいる。合理的ではある。

親子が共同作業していたことから開放されたのだが、この意義には反することではある。

要するに、汗をかくことを嫌う世代になったとも言える。
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暑さ本番
ギラギラの太陽だが、風が少し乾いたか。

日陰に心地よい風。湿度が下がったことを意味する。

「歯医者だよ」と孫が呼びに来る。孫だから許せる。

母親は前回のときに話したと必ず言う。言葉の出し惜しみ。

言いにくいことは孫に。駐車場が一杯なので、向かい側で皆を下ろす。

次々来る車に、歯科医院へ渡るのに苦労する姿を見て、後悔する。

その先へ私は用事があるので、医院側へ付けることを省略した。

幼い子供は安全第一。
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広島原爆の日 合掌
曇天からいつの間にか太陽が。

無差別大量虐殺の核爆弾が8:15広島に投下された。

今尚、後遺症に苦しむ市民。行政の壁は、症状に個人差があるにも拘わらず、線引きをして、救済の出来ない被爆者がいる。

その人たちへの救済を口にした安倍首相。それすら批判する人たち。

被爆の実態を真摯に受け止めるべきだ。戦略核の廃絶は当然。

日本が大声で世界へ発信すべきだ。世界で唯一の被爆国なのだ。



向かいのコーポの赤ちゃんが泣きとおしている。

あついからか?出かけて抱いてやりたい。きっと泣き止むだろう。

母親がわが子を安心させることが出来ない。30分以上も泣き通している。

その訴えを理解できないのか。よそのことだが気になる。
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