蜘蛛の旋律・77
「どうした。ここがお前の高校じゃないのか」
 高校の名前も、地形も変わっている。沼の北にあるはずの高校は沼の南にあって、本当の名前は沼南高校だったんだ。新都市交通の時は列車の形状と名前だけだった。だけど野草は、小説に書くことで、地形すらも実際のものと変えてしまっていたのだ。
「ああ、ここだ。間違いない」
 何のこだわりもなく右折した武士の隣で、オレは自然に背筋をこわばらせていた。野草の小説は現実世界に影響を与えている。その影響は詳細で、その分甚大だ。判っていたはずなのに、オレは改めてその能力に恐怖を感じた。
 オレは本当に野草を救うことができるのか? 黒澤は、オレが野草を救えると本気で思って、オレを召喚したのか?
 まともな神経を持った普通の女の子が、自分がこんなに大きな力を持っていると知って、耐えられるはずがないじゃないか。それとも、それならそれで仕方ないと野草に開き直らせるだけの力が、オレにあるとでも思っているのか?
 実際、方法は2つしかないんだ。野草が小説を書くことをやめるか、自分の力に開き直るか。
 だけど、小説に書かれなかったキャラクターも実体化している。野草は小説を書くことをやめたとしても、空想することまでやめることはできないだろう。だとしたら開き直るしかない。自分の力を受け入れて、世界が変わることを認めていかなければ。
 野草が死を選択したのが、今ならはっきりと判る。認めるよりも死ぬことの方が、遥かに楽だったのだ。
「巳神、おりるぞ」
 武士に促されてオレは車を降りた。目の前には、オレが見慣れた沼南高校がある。周囲を田んぼと森林に囲まれたいなかの高校だから、入口はこの正門しかないんだよな。正門からやや左寄りに2つ並んだ校舎があって、校舎の向こう側には広い校庭と、右手に体育館が立っている。
 ひと通り見た限りでは、この学校に誰かが潜んでいるような気配は、まったく感じられなかった。