記憶�U・96
「実、ちょっと来て」
 サヤカがボスの腕を引いて、オレとボスの会話は中断した。サヤカは少し不機嫌そうだ。さっきまではおとなしく星を見ていたというのに。
「サヤカ、私はもう少し伊佐巳と話をしていたいんですが」
「昼間できる話を今することはないでしょう? あたしは夜しかできない話をしたいの」
「……何を言い出すんでしょう、このお嬢さんは」
「伊佐巳、ごめんね。話の続きは明日にして」
 そう言って、サヤカはボスを引っ張って、遠く離れた見えない場所まで連れて行ってしまった。最近の女の子は積極的だ。ボスが堕ちるのも時間の問題だろう。いや、もう既に堕ちているのかもしれない。
「伊佐巳、いつまでサヤカのことを考えてるの?」
 声に振り返ると、ミオが少しすねたような表情で見上げている。……あたりまえのことに気付いた。あちらが2人きりなのだから、こっちもそうなのだ。
「もう考えてないよ。だからそんな顔しないで」
「ボスと伊佐巳とだったらぜったい伊佐巳の方がハンサムだけど、あたしとサヤカはサヤカの方が美人だもの。あたしも嫉妬深いのよ。あんまりサヤカに見惚れないで」
 見惚れるもなにも、月明かりのない夜によほど近づきでもしなければ顔の造作など判別できるものじゃない。しかしそんなことを言ってもミオを刺激するだけなので、オレはミオの肩を抱き寄せた。
「大丈夫。オレは他人のものに興味はないから。オレは最初からミオしか見てない」
「そーお?」
「昨日ボスに言われた。3年前から、オレのミオを見る目は娘に対するものじゃなかったって。……たぶんオレは、ずっと昔からミオに恋をしていたんだと思う」
 その告白は、ミオにとっては信じられないものだったのか。目を見開いて、時間を止めてしまった。……どうなんだろう。自分の父親がずっと自分をそういう目で見ていたと知る娘の気持ちというのは。あまり楽しいものではないのかもしれない。事実には違いないのだけれど。
「ショックだった?」
 オレが訊くと、ミオは表情を変えないまま、オレを見上げた。
「片思いじゃ……なかったの?」
「うん、そうらしい」
「15歳の伊佐巳があたしを好きになったから、今の伊佐巳があたしを好きになってくれたんじゃないの? 伊佐巳は前から……ううん、29歳の伊佐巳も、その前も、ずっと好きでいてくれたの?」
「そう、なんだと思う」
 ミオの表情が、少しずつ変わっていった。込み上げてくるものを抑えるように、口を歪めたかと思うと、やがて、声を上げて泣き出したのだ。