記憶・89
 臆病になっているのは、ミオに嫌われてしまいたくないという思いがあるから。だけど、ミオはおそらく、すべてを知っている。知っていてなおかつオレを好きになると言ってくれたのだ。話してもいいはずだった。理屈で割り切れるものならば。
「ないこともない。だけど、漠然としすぎてて、言葉にできないんだ」
「……あまり楽しいことではなさそうね。いいわ。無理に訊かないから」
「もっとちゃんと思い出したら話すよ」
 もしかしたらミオは察したかもしれない。オレが隠し事をしているということを。
 32歳のオレなら、あるいは、17年前のオレでも、もう少し上手に嘘をつけるのだろうか。
 2人の間にしばらくの沈黙があった。ミオは微笑を浮かべながらオレを眺めていたが、不意に思い出したように含み笑いをもらした。
「なんだか不思議ね。今朝までと何も違っていなくて、会話もそのままなのに、どこか違う気がするの。……小学生くらいのころ、自分に恋人ができたらどうなるのかな、って、いろいろ考えてたわ。映画館でデートしたり、アイスクリームを食べながら街を歩いたり、自転車で2人乗りして出かけたり。いろいろな場面を想定して、シュミレーションしてたみたい。……現実って、ぜんぜん違う。もちろん伊佐巳とはどこかに出かけたりはできないけれど、たとえそうじゃなくても、現実の恋愛は違うんだと思う」
 ミオの言葉の方が不思議な気がした。女の子の考えることは不思議だ。オレはどんな恋愛を夢見ていただろう。17年前は? 今は?
 どちらも同じだ。好きな女の子の夢をかなえてあげたい。ミオの小さな夢をかなえるためにはどうすればいいのだろう。
「ミオはどうしたいの?」
「あたし? ……どうしたいのかしら。今はあまり判らないわ。でも、伊佐巳のこと、もっと知りたいと思う」