記憶・85
 ほんの少し、ミオの表情は硬かった。思いのほか長時間部屋を開けてしまったことから、態度を決めかねているのかもしれない。オレはひと息吸って、吐いた。そして、リラックスした表情を作って、ミオより先に声を出していた。
「帰ってきてくれて助かった。オレ、もう、腹減って腹減って」
 声におどけたようなニュアンスを含ませたから、ミオの表情もかなり緩んでいた。既視感がある。そういえば、オレの方からこんなふうに笑いかけるのは、初めてなのだ。
 伊佐巳というキャラクター。もしかしたらオレは、かつてはこんなふうに人を和ませるキャラではなかったか?
「……ごめんなさい、突然出て行っちゃって。あたし……」
「話はあとにしよ。とにかくオレは飯が食いたい」
 テーブルに置き放してあったミオの分の昼食を手渡すと、ミオは器用にドアを開けて出て行った。すぐに別のトレイを持って戻ってくる。オレはそのトレイを受け取って食器をテーブルに並べた。オレというキャラクターがそうするのはごく自然なことだった。
 初めてここで目覚めたとき、オレは自分がどう行動すればいいのか、まったく掴めなかった。何をしていても、どこか自分ではないような気がした。きっかけは自分自身の記憶をほんの少し思い出したことなのだと思う。ミオを好きだと思って、ミオに恋をすることが1番大切なのだと知って、オレは少しずつだけれど、自分の人格を掴み始めている。
 おそらくミオも気づいただろう。今のオレが、それまでのオレとは、微妙に違っているのだということを。
「……何も言わないで出て行ってしまってごめんなさい。伊佐巳がさっき言ったこと、あたし、すぐには考えられなくて」
 食事に手をつけることなく、ミオは話し始めた。