記憶・82
 ミオは、オレの生い立ちのほとんどを知っている。たとえばオレに妻子がいたとしたら、オレが既婚者であるという理由で、ミオは自分の恋愛対象からオレを外すかもしれない。間接的であるとはいえ、オレは大量殺人に関わっている。もしもミオがそのことを知っていたとしたら、オレが殺人に関与したという理由は、ミオの恋愛感情を左右するのに十分だっただろう。
 やはりミオは、オレの32年の人生を、今ここにいるオレ自身と切り離すことができずにいるのか。
 感情は、理屈とは違う。ミオがたとえどんなにオレそのものを尊重すると誓ったところで、知っているという事実を動かすことなんかできない。
 オレはまだすべてを思い出していない。もしかしたら、未だ眠っているオレの記憶の中には、あんな飛行機事故よりももっと恐ろしい記憶が眠っているのかもしれないのだ。
 オレの告白に対するミオの態度は、思った以上にオレを深く傷つけていた。ミオが言った「あたしは今の伊佐巳が好きよ」という言葉によって生まれかけていた自信が、今の一瞬ですべて崩れてしまった気がした。過去の記憶を持たないオレは、自分の自信を裏付けてくれるものがひとつもない。オレがオレ自身を量る基準は、ミオの態度しかないのだ。
 情けないと思う。ほんの少しミオが態度を変えただけでオレの感情は揺らぐ。このままではオレはミオにものすごい精神的重圧をかけてしまう。ミオはまだたった16歳の女の子なのだ。オレが幼いままでいたら、ミオのほうがおかしくなってしまうだろう。
 昼食をテーブルに残したまま、ミオはなかなか戻っては来なかった。オレはミオが手をつけていない昼食を自分の分だけ食べて、ミオを待った。まずオレの方が変わらなければならない。オレがミオから自立しなければ、ミオを好きになっても認めてもらえるはずがない。
 まずはこのオレこそが、完全なOSにならなければいけないのだ。