記憶・73
 今このときだけ、オレは彼女の父親になれるだろうか。彼女を、せめて夢の中だけでも、幸せな気持ちにさせてあげられるだろうか。
「……ここにいるよ」
 名前は呼ばず、眠るミオをオレは抱き寄せた。やわらかくて、小さくて、壊れてしまいそうだった。ミオは目覚めることはなく、たどたどしいしぐさでオレの背中に腕を回してきた。頭の中に危険を知らせる警鐘が鳴り響く。オレは必死で自分に言い聞かせた。オレは今ミオの父親なんだ。ミオはオレの娘なんだ、と。
「パパはここにいる。ずっとお前の傍にいる。もう絶対にお前を独りにしないから。安心して眠りなさい」
 小さな声でつぶやきながら、オレは次第に不思議な気分になっていた。以前もこんなことがあったような気がする。もしかしたら、オレには子供がいたのかもしれない。確かに32歳ならば子供がいても不思議はない年齢だ。
 オレには子供がいるのだろうか。子供がいるのならば当然妻もいるはずだ。オレは恋をして結婚して、子供をもうけたことがあるのだろうか。
 何も思い出せなかった。考えているうちに、さっきの子供がいたかもしれないという感覚も、ただの錯覚のような気がしていた。そうだ。子供に添い寝をしたことがあったとしても、それが自分の子供かどうか。他人の子供だったかもしれない。
 今、ミオに恋するオレは、その恋を邪魔する過去を思い出したくない。自分に妻子がいたのだとしたら思い出さないでいたい。ずっとミオの傍にいたい。

 いつの間にか、オレは眠ってしまっていた。
 その夜、オレはあの悪夢を見なかった。