記憶・65
 オレはなんだか頭がぼうっとして、そのあとのミオの言葉をあまり聞いてはいなかった。
「……本当に?」
「ええ、あたりまえよ。伊佐巳にはこんな記憶障害なんかに負けてほしくない。まだ32年しか生きていないのよ。伊佐巳にはこれからがあるんだもの」
「ええっと、そっちじゃなくて……」
 ミオが首を傾げてオレの言葉を待っていた。だからオレは余計に聞けなくなってしまった。ミオが言った「あたしは今の伊佐巳が好きよ」という言葉の意味を。
 たぶん、オレが期待するような意味ではないのだろう。当然だと思う。オレのほうがおかしいのだ。まだ出会って2日目の女の子に、恋心を抱いているなんて。
「15歳の男の子の伊佐巳を、あたしは好きよ」
 だからミオがそう言った時、オレの心臓はドキンと大きな音を立てた。
「今ここにいる伊佐巳は、32歳の伊佐巳とも、たぶん32歳の伊佐巳が15歳だったころとも違うわ。でも、そんな伊佐巳が存在していること、それだけであたしはあなたを好きだと思える。……あたしは絶対に忘れないわ。もしも伊佐巳の記憶が戻って、32歳になったとしても、ここに15歳の伊佐巳が存在していたって、そのことを絶対に忘れない。
 もしも伊佐巳が忘れてしまったとしても、あたしはずっと忘れないから」
 たぶん、ミオが言う好きという言葉は、オレがミオに思う気持ちとも、オレがミオに期待する言葉とも違う。どちらかといえば親が子供に対して抱くような気持ちなのかもしれない。だからかもしれない。オレはそのミオの言葉に安堵を強く感じた。そして思った。このミオの言葉を絶対に忘れたくないと。
 オレが忘れてしまったオレの記憶。その中には、オレが忘れたくないと感じた言葉がいくつあったのだろう。たぶんたくさんあったに違いない。オレの記憶はオレのものだ。思い出したい。オレの記憶はそのままオレの宝物なのだから。
 32歳のオレは、たぶん、たくさんの宝物を抱いている。