記憶・64
「オレの“今”は夢じゃない」
 低く抑揚のない声でオレが言ったことが、ミオを驚かせたようだった。
「そう……よね。ごめんなさい。あたしも夢だなんて思ってないわ」
「ミオ、君はもしかしたら32歳のオレを知っているのかもしれない。知らないのかもしれない。だけど、今ここにいるのは15歳のオレで、32歳のオレとは全然別の人間なんだ。君が32歳のオレを知っているにしろ知らないにしろ、今ここにいるオレが32歳のオレとは関係ない、別の人格を持ってる1人の人間なんだって、君は認めてくれる? これからオレがつむいでゆく時間を、32歳のオレの時間と切り離して見てくれる?」
 生まれたばかりのオレの人格。記憶のないオレは、これから少しずつ自分というものを形成してゆく。その環境は今までのものとは違うはずだから、形成される人格も当然今までのものとは変わってしまうだろう。オレはこれからも自分の記憶を思い出すことを続けてゆくし、もしも思い出したのならばその人格は32歳の人格に吸収されてしまうのかもしれない。だけど、それは今のオレの人格が必要ないということじゃない。自分がなければ生きていくことなんかできるはずがない。
 壊れてしまった32歳のOS。オレがオレのコンピュータを動かすためには、新しいOSが必要なんだ。
「伊佐巳、あたしは最初からあなたを認めているのよ」
 ミオはそう言って、いたわるように微笑んだ。ああ、そうだったよ。最初からミオはオレを15歳の少年として扱っていた。
「伊佐巳は32年間の記憶を思い出さなければならないわ。でもそれは今の伊佐巳が必要ないって意味ではないの。あたしは今の伊佐巳が好きよ。だから壊れてほしくない。過去の記憶障害なんかで伊佐巳のすべての人格に壊れてほしくないのよ」