記憶・3
 オレの名前は……判らない。
 なぜ、判らない……?
 その時、顔が不快な笑い声を立てた。
「どうして判らねんだよ。オレはお前じゃねえか」
笑い声を間にはさみながら、男は言った。そのいやったらしい声がオレの神経を逆撫でした。そんな馬鹿なことがあるはずがない。こんなにオレに嫌悪感と恐怖感をもたらす存在が、オレ自身であるはずがない。
「数学の授業を覚えてるか? A=C、B=Cであるとき、A=Bが成立する。オレが誰なのか、お前は判らねえ。「オレ」を「A」、「判らねえ」を「C」とすると、それはA=Cだ。お前は自分が誰なのかも判らねえ。「お前」が「B」ならこれがB=Cだ。つまり、この法則で言えばA=B、つまり「オレ=お前」も成り立つって訳さ。判っただろ?」
 男はまるで冗談でも口にした後のように大きな声で爆笑した。オレはこの男にからかわれているのだと思った。しかし笑い事ではなかった。本当にオレは自分のことが判らないのだ。
 この男の言うことを証明できる根拠が、オレにはないのだ。