Like a rolling stone
 日本国株式会社の価値が20年前と同じになった。今日、日経平均株価が8.000円を割り込み、1989年のピーク時の38.915円と比べると、5分の1になった。ピーク時以後10年余り、当時の余力で国民の経済情勢は揺るぐことは少なかったが、どうやらここ3年余りのデフレ不況で緊迫の様相を呈してきた。20年前は、携帯電話もパソコンもテレビゲームもなかった時代。

 表題の「転がる石のように」は、アメリカのフォーク・ロックの元祖ボブ・ディランの詩のタイトルである。ディランは1960年代より、ベトナム戦争をやめない自国政府に対して痛烈な批判を歌い、爾来、無謀な権力に対峙してきた。もっぱらディランの詩は晦渋で、なかなか理解することが難しいものだった。が、ひとたびディランの声を理解すると、若者たちはディランに集(つど)った。「ハリケーン」(あがないの歌)は8分33秒にわたっている。ルービン・ハリケーン・カーター裁判は,22年に及び、連邦裁判所の判決により1985年に釈放され、人種差別ゆえの冤罪に幕が閉じられた。

 小泉が首相になって、実際によくなったところは皆無に等しい。だのに、これまでの首相のように詰め腹を切らされないのは、ちょいとばかりタレント的人気があるのと、また、国民が今さら誰がやろうと同じことだと諦めているからだろう。ほかに適任者がいないから、そんな理由でわが国の首相は務まっている。彼が目立って活躍するのはヤスクニくらいで、後はアメリカブッシュのご機嫌取りをして担ぎあげるくらいだ。

 小泉は独特のパフォーマンスで支持層を獲得してきた。そうして、自らの経済音痴、政策音痴などどこ吹く風の鉄面皮で、相変わらず人任せにしている。わが国に彼しか適任者がいないのなら、そのうちわが国の大部分は、外資の傘下におかれてしまうかもしれない。唯一の取柄だった経済大国の成れの果てだ。ま、そのほうが国民の幸福につながるのなら、それはそれでかまわないことなのだけれど。

 東西冷戦が終結し、世界の平和のようなものが続いたのは束の間だった。ソ連崩壊、ベルリンの壁崩壊などで東西の緊張が解かれていくうちに、アメリカは地球のボスのようなものになった。自由の女神像はアメリカの力を象徴し、軍事的なことはもちろん、経済的にもアメリカの君臨・繁栄なしには、世界各国は繁栄しないという虚構を作りあげたかにある。アメリカは、ある意味傍若無人で、世界というものを取り仕切ろうとしている。

 アメリカ側からの発想だが、さしづめ任侠渡世にたとえると、清水の次郎長はアメリカブッシュで、盃を交わした仲間は大英帝国のブレアー首相、スペインのアスナール首相か。わが国首相は一の子分の大政より落ちて小政程度だろう。もちろん、イラクのフセイン大統領は、天敵甲州の黒駒の勝蔵だ。が、アメリカブッシュが、いくら面倒見がよく、弱きを助け強きを挫くスター国を標榜しようと、やくざなことにちがいはない。

 ディランのヒット曲に「The Times They Are A-Changin' (時代は変わる)」がある。繁栄という頂上に向かって、坂道を登るのはたやすくなく、その逆に登りの途中で坂道から下るのは、転がる石のようにすさまじい速度になる。時代はあっという間に変わっていく。政府が、小泉がなにをしようと、なにをしようとしなくても、時代は変わる。転がる石のように、時代は変わっていく。

 人は自らの力で道しるべを見つけるしかない。誰に頼ることなく、自分自身の意志と力で。それは腕力ではなく、命の源―生きる歓びたるパワー、人の心、優しさ、思いやり、自然への畏怖、未来への憧憬・・・・・。