DNF
   DNF: 暗夜光路


 横尾忠則がグラフィックデザインから絵画へと制作の重点を移したのは1981年のこと。画家として積んできたキャリアは,グラフィックデザイナーとして過ごした歳月に匹敵するまでになった。

 現在東京品川の原美術館で開かれている個展は,その歩みの結果たどりついた地点の断面を見せている。

 題して「横尾忠則作 暗夜光路」展。新作,近作40点ほどのほか,滝を題材にした絵葉書5千枚など数々の作品が展示され,この画家がいかに発想の回路を開放し,自由な姿勢で制作に臨んできたかを物語る。1月14日までの開催である。東京近辺にいらっしゃるかたは是非見に行って欲しい。

 新作絵画は,兵庫県の故郷で見かけたY字路の風景に引かれたのを機に描き始めたシリーズ作品で,すべてに「DNF:暗夜光路」とタイトルがついている。「暗夜光路」は言うまでもなく志賀直哉の小説に想を得た題名だそうだ。DNFはその英訳から頭文字をとったものに思われる。

 私はこのY字路を知っている。5分ほど歩けばいつでもそこへ行ける。日本経済新聞の編集委員 宝石正彦は、その作品について次のように書いている。

 人は先の見えない人生行路上でしばしば神の啓示のように照らし出されたY字路に出合う。Y字路は前に進もうとする限り二者択一を迫る。そうしたY字路をいくつも手探りで通り抜けてきた二十年の歩みをタイトルに投影させた,と想像すればいいだろうか。いかにもこの画家らしく霊感が働くままに題材を選択しているのが面白いが,ほかの作品にもこだわりのない姿勢は貫通している。
 絵画であれ,グラフィックデザインであれ,進むべき方向を自らの意思で選ぶ限り、周囲を見回してうろうろするような態度とは無縁であり,亜流にはなりえない。Y字路の絵を見ながらそんなことも考えた。


 上記に掲載の画像は新聞の切抜きである。決してモノクロの作品ではない。私にはその彩りが想像できる。それはその場所を何度も見ているからでもあるが,世田谷の彼のアトリエに何度かおじゃましたり,故郷で出会ったりして、彼のひととなり,これまでの多くの作品を知っているからでもある。私の家から車で15分も走れば,横尾忠則美術館がある。そこにかの石川釣月を連れて行ったこともある。