読書の秋
 めずらしく子供たちの読書欲が旺盛である。これまでになくぼくの書棚を物色している。はずれを避けるためと儀礼上、必ずといっていいほどぼくに『オススメ』を尋ねてくる。はずれは彼らにとって、時間の無駄になるからだ。読書におけるおもしろくない、つまらないという時間は、けっして無駄ではないのだけれど。ぼくは『オススメ』がはずれでないよう、どんなものが読みたいか、どんなジャンルが好きかどうかをきいてから、オススメ作品を選んでやることにしている。

 で、これまでのオススメで二人が一致して気に入った作品は、血がつながった兄妹であるからかもしれないが、トマス・H・クックの記憶シリーズ、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』、藤沢周平の『蝉しぐれ』、ロス・マクドナルドの『さむけ』、スティーブン・キングの『スタンド・バイ・ミー』野坂昭如の『火垂の墓』などだった。宮部みゆき、辻仁成、村山由佳、ボブ・グリーンなどの作品群も楽しめたようだ。

 意外に気に入らなかったのは、五木寛之。1960〜70年代は時代の寵児のように若者に人気があった。現在においても『大河の一滴』、『四季・亜紀子』の四姉妹シリーズなどで変わりない人気作家である。が、ちと最近の彼は、青年のころと比べてではあるが説教がましくなった。悟りを啓いたというようなイメージが、少々辟易の感を抱かせぬでもない。『海を見ていたジョニー』『蒼ざめた馬を見よ』『デラシネの旗』『モルダウの重き流れに』・・・、これら代表作のいくつかですら絶版になっている。大衆文学はその時代その時代でなければ面白くないのであろうか。ナツメロソングはある面時代錯誤であり、懐古趣味である。五木寛之の30年以上前の作品もまた、現在の若者にとっては似たような存在であるのかもしれない。ぼくが10代のころ、国語の先生が勧めた石坂洋次郎という作家が最もクサイ作家であったことのように。

 ちょっぴり頭をひねって、子供たちに安部公房を読んで欲しいと思う。私小説や王朝文学のような日本古来の伝統に背を向け、無国籍な思想と、どこまでも明晰で論理的でストーリが巧みだった安部文学。孤高の前衛文学作家および思索者として、川端や三島よりも世界でずっとずっと輝いていた。またエンターテイメントとして楽しめ、メタファー(隠喩)が自由で、どこの国の人が読んでも感情移入できる特色を持っている。

 『砂の女』『燃えつきた地図』の代表作は、安部公房全作品のなかでも、とりわけ群を抜いてオススメである。さて、この二作に子供たちがかぶりをふるかどうか、読破するかどうか、気に入るかどうかは来年のことである。ま、いずれにせよ青春期の読書は、他のいかなる時代のそれよりもまちがいなく価値がある。