Viola x wittrockiana
  パンジー (スミレ科)


 柔らかい春の陽射しが当たるようになると、たとえ風は冷たくても、枯れ芝のなかのパンジーだけはきらきらと輝いて見える。あざやかな黄や白、澄んだライトブルー、ビロードを思わせる赤や紫。これらの花色で花壇を埋めつくし、春の訪れから終わりまで咲き続けるパンジーは、まさに春花壇の女王の名にふさわしい。

 パンジーは、三色スミレの名があるように、日本の山野で見られるスミレの仲間である。スミレ属は、世界中の温帯地方に400種以上も分布しており、さまざまな形態のものを含んでいる。日本には50種以上の自生種があり、スミレ王国の名が冠されることもあるが、園芸植物として改良され普及している種はない。

 ヨーロッパでは、バイオレット(ニオイスミレ)がギリシャ時代から栽培されているが、近世までは単なる野草としか見られていなかったようである。しかし、そのころでも、パンジーの基本種となったビオラ・トリコトルは、英名ではーツ・イーズ(心の平和)とよばれて親しまれていた。地面近くに咲く小さな花が、人々に心の安らぎを与えていたことがうかがわれる。パンジー pansy の名は、フランス語のパンセ(物思う)からきており、ひっそりと物思いにふけっているかのように見えるところからつけられた。

 パンジーの改良は、19世紀の初めにイギリスではじまった。ロンドンに住むT・トンプソンが、庭に生えていたビオラ・トリコトルに注目し、これに他の種を交配することによって、細長くて小さな花を、丸くて鮮やかな色彩をもった大きな花に作り変えていった。1830年代には、すでに数百種もの品種を生み出していたといわれ、トンプソンは「ハーツ・イーズの父」とよばれた。

 その後、改良は、オランダやフランスでも盛んに行なわれ、19世紀末にはフランスで黒いブロッチ(大きい斑)の入った品種が作り出された。

 20世紀に入ると、スイスやアメリカでも改良が進められ、なかでもスイスのログリーの発表した「スイス・ジャイアント」系の品種は、色別に十数種も固定したもので、パンジーを春花壇の主役に据えるのに大きく貢献した。その後も改良の手はゆるめられず、日本の種苗会社が発表したF1種(マジェスティック・ジャイアント)は、世界各国に輸出されている。