ドラマ 白線流し
 この月曜日、十年ぶりに高校時代の親友に会ったとき、十時間ほどの話しの半分は高校時代のことだった。友人は早稲田に入学し、そのまま東京にいついてしまった。だから、何度も何度も思い出したことを語りあった。

 僕は大学を卒業してから地元に帰っていたので、情報の発信源はいつも僕だった。その僕と十年も会わなかったのだから、積もる話は山ほどあった。

 火曜日の夜帰ってきて、楽しかった時間を思い出していると、まだまだ話し足りなかったことに気がついた。懐かしいことがいっぱい残っていた。

 昨年の二月に gaiax でページを開いてしばらくしたとき、ある人から888のキリバンの報告があった。僕はその人のページを訪ねた。そこで僕は「白線流し」という聞きなれない言葉に目がいった。よく読んでいると、「白線流し」というドラマについて、その人の情熱やら思い入れを感じてしまった。

 僕はそれがどんなものだろうと、ヤフーで検索をしてみた。僕が検索したのはドラマのほうではなく、岐阜県の本家の白線流しだった。僕はそれを読んで感じたことを、その人に伝えた。僕が感じたことは、青春というものは時代がちがいこそすれ、なんら僕たちのころと変わりはしないことだった。喜びも苦しみも悩みもわからないことも・・・・・。

 ある人とはリンク先であるChiakiyさんである。それから僕は白線同盟というものに加えていただいた。たぶん石川君もそうなのだろう。最近は連絡がないのが寂しい限りだが、彼女も忙しいのだろうと思っている。

 僕は休日の今日、「白線流し」のビデオを三巻見た。おそよ七時間あまり、初めはなかなかなじめなかったのだが、下の子供が「これお姉ちゃんがよく見ていた」と言った途端、徐々に面白くなっていた。自分の高校時代にオーバーラップするものが次々と見えてきたのである。

 東京の親友は寺の息子、ガールフレンドは天理教の娘、初恋の人は演劇部の才女、恋敵は東大に入学した現官僚、俳優になりたかった男は野球部で、初演は日活ポルノ映画、カバンにナイフを入れ、他校とけんかばかりしていた男は現脳神経外科医、プールのない水泳部で毎年インターハイに行っていた姉御のお龍さんと、仲間はいっぱいいた。

 いろいろな思い出がある。迷探偵が終わったので、しばらく休憩と思っていたのだが、どうやらドラマ「白線流し」に刺激を受けたようである。明日か明後日から時代錯誤の「白線流し」を書いてみたいと思っている。

 ドラマになるのか、脚本になるのか、それとも裏話になるのか、取っ掛かりだけで決まるだろう。アイデアは「白線流し」だが、タイトルはまだ考えていない。乞うご期待である。



 園子から渉への手紙