蝉しぐれ
 「文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」
 いきなり、お福さまがそう言った。だが、顔はおだやかに微笑して、あり得たかも知れないその光景を夢みているように見えた。助左衛門も微笑した。そして、はっきりと言った。
 「それができなかったことを、それがし、生涯の悔いとしております」
 「ほんとうに?」
 「・・・・・・・」
 「うれしい。でも、きっとこういうふうに終わるのですね。この世に悔いを持たぬ人などいないでしょうから。はかない世の中・・・・・・・」
 お福さまの白い顔に放心の表情が現れた。見守っている助左衛門に、やがてお福さまは目をもどした。その目にわずかに生気が動いた。
 「江戸に行くまえの夜に、私が文四郎さんのお家をたずねたのをおぼえておられますか」
 「よくおぼえています」
 「私は江戸に行くのがいやで、あのときはおかあさまに、私を文四郎さんのお嫁にしてくださいと頼みに行ったのです」
 「・・・・・・・」
 「でも、とてもそんなことは言い出せませんでした。暗い道を、泣きながら家にもどったのを忘れることが出来ません」

 
 昨夜、読み終えた青年剣士、牧文四郎の青春の物語の終章の一部である。種別は時代小説であるが、心は現代に息づいている。唯一僕が少年時代にタイムトリップしたのは、秘剣村雨を会得した文四郎が刺客と対決する場面であった。僕はちゃんばら映画が大好きだったのである。