盛田幸妃
1988年横浜大洋ホエールズに函館有斗高校からドラフト一位で入団。
大魔人佐々木主浩のセットアッパーとして活躍する。
当時ドラゴンズの主砲、落合博満が最も苦手にしたピッチャーだった。
1992年には14勝をあげ、セントラルリーグの最優秀防御率のタイトルを獲得する。

1996年、シーズン終了後、近鉄バッファローズへ移籍。
翌1997年シーズン途中で脳腫瘍に倒れる。
手術後、右半身の麻痺が残った。
現役への復活は絶望視されていた。
だが、昨年奇跡のカムバックをし、
今年は首位近鉄の中継ぎとして活躍、
見事オールスターゲーム出場を果たす。

オールスター二日目、今日は懐かしの横浜スタジアムで登板をした。
彼は五年前、二男を小児癌で亡くしている。
まだ右足には痺れが続いている。

愛児の死に悲痛の叫びを続けた日々、
死を望みつづけた日々、
絶望に苛まれた日々、
苦痛のリハビリを続けた日々、
今夜、そんな彼に多くのファンが立ち上がって声援を送った。

僕にはいつもつまらないオールスターゲームだったが、
今夜は素晴らしいオールスターゲームだった。
彼を選んだファンの、日本人の心はまだまだ捨てたものじゃない。

けれど、彼はお情けで選ばれたんじゃない。
それが最も彼にとって大切なことなんだ。

どうやら僕は、歳をとって涙もろくなっているようだ。