2008年01月の記事


社会学の夜明け 0 part 2
◎社会学の元祖イブン=ハルドゥーン
 社会学の前回言ったレヴェルの問題に人間が学問的認識の眼を向けることは、文明がある程度成熟してから可能になることかも知れない。「社会学」は古代ギリシアにも生まれなかったし、元気のよかった頃のイスラーム圏にも生まれなかった。近代においても意気盛んなる時代には生まれなかった。おそらく、社会学の祖先を求めるならば、イスラーム文明も頽廃期に入ったころのイブン=ハルドゥーンに求めることが出来るかも知れない。
 イブン=ハルドゥーン(1332~1406年)はチュニスに生まれ、いろいろ政治に関わったけれども、失意ののち隠棲して『歴史序説』を書く。そこにはイスラーム世界の歴史的総括が見られる。彼は社会を「遊牧民と都市民との対抗関係」において把握し、一つの勢力が王朝を建設するとしても、やがて「内的連帯意識が弛緩することによって崩壊してしまう」というサイクルを冷厳に認識していたのである。いわば彼は、イスラーム世界における「ミネルヴァの梟(ふくろう)」だったのであり、そうした意味において社会学の創始者であった。

歴史の新の目標は、人類の社会的状態すなわち文明を理解する助けとなることであり、またこれに関する全現象を私たちに教えてくれることである。
  イブン=ハルドゥーン

(I_I)/b
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無意識の世界 Ⅱ part 9
 知性も教養もある人が引き込まれてしまう不思議/<「認知的不協和」の心理
 カルト集団や新興宗教のテロ事件では、マインド・コントロールされてその団体の一員となり、恐ろしい犯罪に加担していたのは、高学歴で知的な人が多い。
 カルト教団にのめり込むというと、あまり自分でものを考えない、依存心が強くて単純な性格の人というイメージが強かっただけに、「どうしてこんな知的で頭のよさそうな人は引っかかったのか?」と、不思議に思った人が多いことだろう。
 これは、「認知的不協和」と呼ばれる心の働きで説明できる。
 われわれには、誰にでも、自分の行動を正しいと思いたい潜在心理がある。誰も、自分が悪い人間だと思いたくはないし、愚かな人間だとも思いたくない。
 そこで、自分が悪くも愚かでもない理由を、無意識のうちに作ってしまおうとする。
 例えば、他人が廊下で滑って転べば、「そそっかしいやつだ」と思うところでも、自分が同じ廊下で滑って転べば、「滑りやすい廊下だ」と思ったりする。
 自分の自尊心を守るために、無意識のうちに働く一種の自己防衛なので、特に自尊心の高い人に、この傾向が強い。
 高学歴で知的な人というのは、とかく自尊心が高いものだ。「だまされた」とか、「間違った信仰をしてしまった」とか、「マインド・コンロールに引っかかった」とは、どうしても思いたくない。それを認めれば、人格崩壊の危機に陥ってしまう。
 しかも、困ったことに、知的な人は、自分の自尊心を守るための言い訳を、次々に上手く考え出してしまう能力に長けている。
 そこで、教団が悪事を働いたのを知ったとか、自分がそれに加担してしまったというとき、それを弁護する理屈を考え出し、自分で自分を納得させてしまうのである。
 これが「認知的不協和」と呼ばれるもので、不協和があまりにも大きくなりすぎ、自己正当化の理屈を考え出せなくなると、二重人格のような症状や自己喪失の状態に陥ることにもなる。
 (E◇E)/b
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生命誌の世界 Ⅳ part 7
 共通性と多様性を結ぶ
 生物の本質を知るには共通性と多様性を同時に知りたいのだけれど、その方法がないために長い間、共通性を追う学問と多様性を追う学問が独自の道を歩いて来たと言いました。ところが、ゲノムを切り口に用いれば、両者をつなげる見通しが出てきたのですから、興奮します。プラトンとアリストテレス以来の願いが叶う・・・やや大げさですが、そういってもよいと思います。
 では、多様性を追ってきた博物学、分類学は今、どのような状態になっているでしょう。分類学の祖リンネの書いた『自然の体系』(1735年)に葉900種ほどの生物種があります。今、私たちが手にする生物分類表には約150万種が取り上げられています。250年でこれだけの数の新種を見つけ同定したのですから、大変な成果とも言えます。しかし、研究者の好みや地域などのせいで、生物によってはほとんど研究されていないものもあります。
 (R_R)/b
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