幼児
幼児の振り返り記事 2つの紹介とリンクを挙げておきます。

10.2 Sun 脳とテレパシー Ⅶ part 8

at 2005 10/02 21:48 編集

 類推的思考ーーー幼児はなぜ独り言を言いながら遊ぶのか
 この時期の幼児は「お遊び」にも夢中になる。これは「ごっこ遊び」であり、何かを別の何かに見立てて、長い間、飽きることもなく遊んでいる。
 例えば積み木を電車に見立てて長く並べてみる。空のコップや食器を、ミルクや食べ物が入っているかのように口に運ぶ。言うまでもなく、類推的思考のあらわれだ。
 積み木が電車になるのは、幼児が自分の脳内にある電車のイメージと似ている部分を積み木に当てはめ、想像して遊んでいるのだ。幼児はもちろん、それが積み木であることは承知している。想像によって、あるものを別のものに見立てる楽しみを幼児は味わっているのである。
 これがイマジネーションを伸ばし、その後の創造性の発達に大いに役立つのだ。
 そう考えると、おもちゃは単純なもののほうがいいことがわかる。おもちゃも、お話と同様に、幼児期後半の知的発達に欠かせない「ひな形」となる。
 そして、どちらの「ひな形」も言葉と関係してくる。お話はもちろんだが、遊びの場合も常に言葉が付いている。幼児は必ず何かしゃべりながら遊んでいる。独り言を言いながら遊んでいるのだ。
 これは、幼児が自分自身と対話し、それに触発されて類推を発展させ、遊びを展開しているのである。
 その意味では、幼児にとって言葉は行為である。筋肉による身体の応答と同じなのだ。遊びの中での独り言は、身体の応答として子供の爬虫類の脳に働きかける。それによって感覚的なイメージが引き起こされ、そこにさらに原始哺乳類型の脳からの情報が加えられる。それが新哺乳類型の脳に類推というイマジネーションをもたらすのだ。
 つまり、遊びながらの独り言は、最深部の爬虫類型の脳を刺激することで、創造性の基礎を作っているのである。
 (E△E)/b
10.11 Tue 脳とテレパシー Ⅶ part 9

at 2005 10/11 20:18 編集

 「ひな形」---幼児のESP能力を発達させるには?
 幼時の類推的思考を支えているものは何だろうか。すでに述べたように、それこそが直感なのである。大人のように論理的に考えるのではなく、直感によって物事の部分的な一致点や類似点を類推していく。
 この直感が、時としてESPのような特殊な能力としてあらわれるのだ。子供にそのような能力があらわれることは決して異常なことではなく、むしろ遺伝的プログラムどおりに幼児の知的発達が進んでいる証拠なのだ。
 しかし、この種の能力をさらに発達させるためには、それに適した「ひな形」を与えてやらなければならない。そうでなければ、子供たちの特殊な能力はやがて消滅してしまうからだ。以前に読んだ本に、イヌイットの呪術師の話が紹介されていた。自分の息子の直観力を発達させるために、オオカミの子供と遊ばせるという実話だ。
 父親の呪術師は、ある日突然、五歳の息子をオオカミの群れに連れて行く。そして一日、放置するのだ。
 最初、親オオカミは警戒してその息子の匂いを嗅いでいたが、やがて警戒を解く。翌日、父親が迎えに行くと、息子は楽しそうにオオカミの子供と遊んでいたという。
 成長した息子は、やがて父親と同じ呪術師になる。彼は狩猟のとき、特別な能力を発揮して仲間から信頼される。オオカミの鳴き声を聞いて、目指す獲物がどの方向にどれくらいいるかを判断できたからだ。五歳のときにオオカミと一日過ごしたことで、彼らと交感でき、その結果、彼らの鳴き声の微妙な違いをも聞き分けるようになったのだ。そしてオオカミ同士が連絡し合っている泣き声から、獲物の位置を知ることができたのである。
 これもやはり「ひな形」である。直感能力の発達のために、五歳の子供はオオカミと一日暮らしたのだ。
(☆-@)/9
参考リンク
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✨ 幼児の可能性を振り返ってみましょう。猿の幼児の可能性が人間に結びつくように、人間の幼児の可能性が 新しい人間を超えた何かに進化して行くかもしれませんね〜〜