ダイエー考
 *ダイエー は18日、2003年2月期決算を発表した。本業の小売り部門の不振が響き、単体の経常利益は前期比2・9%増の145億2800万円にとどまり、昨年2月に策定した再建3カ年計画の目標である200億円を大幅に下回った。初年度から公約を守れず、再建計画の下方修正を余儀なくされた。ダイエー再生は正念場を迎えている。 (時事通信)

 *経済産業省の村田成二事務次官は21日の記者会見で、ダイエー が近く、産業再生法に基づき、経営3カ年計画を修正申請する予定であることについて「新しいチャレンジをしていく内容としてふさわしければ、変更された計画への応援を国はしっかりしていくべきだ」と述べ、引き続き、再建を支援していく考えを示した。 (時事通信)


 なぜ、国家はダイエーという企業に対してこれほどまでに手厚く援助をしていくのか、すでに倒産させられたマイカルやそごうなど、倒産した流通業の従業員や取引先が不公平だと憤りを感じているのではないかと思われてならない。バブル期の真っ只中、すでに売上高では1980年代に三越を抜き、小売業売り上げナンバー・ワンの地位を不動のものにしていた時代だった。ダイエーは流通業において、確固たる地位を築き、代表者たる中内功氏は業界だけではなく、経済連関係においてもかなりの発言力を持つほどになっていた。

 しかし、ダイエーの借入金の多さと、売り上げに対する経常利益の少なさは尋常ではないものだった。中内流売上高至上主義は、強烈なバイイングで、売り場に商品を満載させ、在庫をあふれさせた。それは顧客のニーズに決して合わせたものではなく、店の主役ではない、本社にいる商品部のお仕着せのようなものだった。彼らが頭で描いたもの、社長が推奨したものなどをどんどんどんどん本部発注という名で送り込んでいった。

 当時、イトーヨーカ堂は、売上高では後塵を拝していたものの、経常利益、粗利益率ではダイエーをはるかに凌駕し、記憶の及ぶところではダイエーの十倍ほどの利益を上げていた。借入金はなく、着実に健全経営を心がけていて、とりわけ衣料品のマネージメントにおいては群を抜いていた。総合スーパーでは、衣料品を制するものが純利益を稼ぐとまで言われていた。最も粗利益率が高いのが衣料品で、最も在庫を抱えて損失を出すのも衣料品だったからだ。衣料品は画一的な販売が通用しない分野だ。バイイング(仕入れ)の能力と適切な商品構成がきめ細かく要求される。

 ダイエーの衣料品は、ヨーカ堂だけでなく、当時のニチイ、ジャスコにも遅れをとっていたことは消費者の目に明白で、むろん販売する側の店の従業員もわかっていた。でも、ダイエー中枢は強権政治そのものだった。上意下達、意見をはさめば左遷がおちだった。だから、売れ残ったものを無理やり取引先に返品をした。売れ残りを返されて、どうにもならなくなった商品を抱えて倒産した取引先が数え切れないほどに存在する。ひどいことには、売り場に一度も出さずして、返品していた事例は山ほどある。

 いつかしら、有力な取引先は優先順位を考えていった。仕入れ価格にも売り筋商品においても、自前できれいさっぱり売り切ってくれる上得意先を決めていた。いい物を安く優先的にまわすのは、返品をしない先で、イトーヨーカ堂は取引先と厚い信頼関係を構築していった。しかして、ダイエーは取引先に信頼を失い、売れない自社ブランド製造に奔走していく。

 衣食住を問わず、ダイエーのバイヤーの幾人かは、メーカーから展示会などで袖の下を受け取るようになった。新商品を定番として採用するという条件の下に。ダイエーの社員は、概して労働時間のわりに待遇が悪かった。締めつけられていた。だから、自分たちだけうまくやろうと考えた。

 ダイエーに対する消費者の不満は山ほどある。先だって、ダイエーが退店した栃木県の石橋店に、イトーヨーカ堂系列のヨークベニマルが再出店した。三月の売り上げは、ダイエーの前年比より二十パーセントふえ、顧客はダイエーが去り、ヨークベニマルが来てくれたことを素直に喜んでいる。ダイエーとイトーヨーカ堂、両者はいったいどこがちがうのか。経済産業省は小売業、流通業というものを実際にわかりもせず、ただただダイエーの経営陣に国民の税金を預け、希望的観測で援助をしている。十数年駄目だった連中、負け戦がしみついてしまった連中に下駄を預けず、なぜ、イトーヨーカ堂という先生に教えを乞おうとさせないのだろう。なぜ、ヨーカ堂の傘下に入れてもらえるように頼み込まないのだろう。国税はいつもばらまきで、無駄づかいばっかりのようである。

 バブル期、福岡ドームやホテルなど、福岡三事業に6000億円の金がつぎ込まれている。中内氏の野望、もしくは道楽のようなものである。未だ次男の正氏がオーナーとして存在している。以前の報道によれば、ホークスの株式を父親から一株たったの一円、およそ五十万円で買ったようである。こんなことは氷山の一角、国家の財政が危機に瀕しているとき、実にふざけたことは津々浦々にまで存在している。