こころの繰言
 うまくいかないとき、思ったとおりにならないとき、ミスを犯したときなどに人は繰言を言う。人に愚痴を言いたくなる。聞いてもらいたくなる。それが積み重なってくると、誰かに八つ当たりをしたり、落ち込んでしまってうつ状態になったりする。

 ぼくは、たいてい年に二、三度どうしようもないミスをして、それはすべて自己責任のミスだから、自分自身に向かって何度も愚痴を言い続ける。でも、覆水盆に返らず、やってしまったことは絶対元には戻らない。好事魔多しというが、だいたい調子に乗っているときほど、ミスを犯す確率が高いものだ。

 で、この五日ばかり、ぼくは繰言を言っていた。他人に言うと迷惑になるので、内なる繰言だが、自分だけで自分をいじめていると、これがなかなかけっこうつらいものなってくる。といって、ここをしばらく休んでいたことには、あまり関係がない。長いつきあいのみなさんはご存知だと思うが、このサイトを開設以来、こんなにも長く休んだことはないからだ。似たような状況はこれまで何度もあったし、ここで戯れることで逆に気分を晴らしてもいた。ま、今回の休憩は、ぼくの繰言とは関係なく、ネットに対する長期休暇だったと思って欲しい。

 気分が落ち込んでいると、やはり好きなゴルフでもあまり楽しくないし、決していいプレイはできないものだ。きのうの日曜日は天気は最高、調子は最悪という、いつもの横浜ベイスターズもしくはケチックス・ブルーウィヴのゲームのようなものだった。握りで負けなかったことについては、いつもの執念というよりは、相手がよわっちすぎたからだろう。

 カントリークラブのクラブハウス内でのことである。プレイを終え、湯の中で疲れをとり、いつものように握りの上がりで会食を楽しんでいた。そのとき、二つ向こうのテーブルでは、R夫妻が友人たち四人で談笑をしているのに気がついた。R夫妻は、夫人のほうが腕前が良くて、一昨年あたりは、Bクラスだが、月例杯で三度優勝をしていた。とても仲のいい夫婦で、ご主人はいつも笑いながら「かかあ天下」を自認している。その日もいつもと変わらず、夫妻がいるテーブルはとても和やかだった。

 お互い息子が少年野球をやっていた関係で、ぼくと夫人は声をかけあえる知人でもある。女性とは思えないほどのさっぱりとした性格で、少々男勝りの感はあるが、気立てのいい人だった。年齢はぼくより五つほど上で、そのことがよけい遠慮なく物を言いあえる近親感をもたらしてくれていたのかもしれない。長男が、NTT杯で「ちびっ子甲子園」へ出場したずっとずっと昔の記憶・・・・・。

 来場客のほとんどが帰り、ひっそりとしはじめた夕暮れに、車のトランクにキャディーバッグを詰め込んでいるとき、夫人から声をかけられた。

 「お宅の事務所に高額療養費の用紙あるかしら? あったらいただきたいんだけど」

 「ありますけど、どなたかお悪いんですか?」

 「わたしよ」

 「えっ? なんで?」 何のことかよくわからなかった。

 「あしたから入院するの」 夫人は何事もないことかのように、いとも簡単にそういった。冗談でしょうと言いそうになったものの、冗談を言っているふうでは全くなかった。

 「今日でゴルフは仕納めかもしれないわ、たぶん」

 「・・・・・」

 「大腸ガンが再発したんよ。あさってまた手術なの」

 そういえば、去年の秋くらいからゴルフのスコアが悪くなっていた。たぶん、あのころから体調が悪くなっていたんだろうと、そのとき思った。彼女が最初の手術をしたのは、息子が卒業して以来出会わなくなっていた数年間。その後、ぼくが再会するにいたる、夫婦揃ってカントリークラブのメンバーになったのは、心身のリハビリのため、ご主人の愛情と夫人の生きようとする力だった。

 ご主人が車がやってきたとき、ぼくはさよならを言ってアクセルを踏んだ。途方もない闘病生活に入る前日、ゴルフを楽しもうとする気丈さ、こともなげに『ガンが再発した』といえる気丈さ、わずかに『今日が最後のゴルフかも』と憂いを漂わせたけれど、やっぱり彼女は人並みならない気丈さで、他人のぼくに手を振った。

 ぼくはガンを宣告されて、にこやかにゴルフができるだろうか? 入院の前日、やせ我慢でもゴルフができるだろうか? それも治癒したと思っていたはずの二度目の宣告で―。

 それから自分の繰言がいやになった。家族共々健康で、夜逃げ寸前の状態でもないくせして、何を些細なミスで愚痴る必要があるのだろう。浮かぬ顔をしていれば、しんどそうにしていれば、かみさんだって感づくだろう。そして、何かを気に病み、気を遣わずにはいられまい。ぼくに彼女の気丈さはない。ガンになればへこたれるだろう。でも、ガンじゃない。ひどい借金があるわけでもない。今、何を落ち込む必要があるというんだろう。

 天高く、さわやかな秋風が吹くころ、クラブハウスで、R夫妻の和やかな光景がきっと見られる、とぼくは願う。今度も彼女は負けたりなんかしない、とぼくは思う。