老人の死
 昨日、約100メートル南の家が火事で全焼した。消防車のサイレンとともに、灰色の煙が我が家にも押し寄せてきた。ひどく焦げ臭い匂いで、その猛火が想像できた。

 焼跡から一人の老人が焼死体で発見された。一人暮らしで足が不自由だったという。年齢89歳、一人で天理教分教会を取りしきっていた。

 教会兼自宅の大きな屋敷は屋根が崩れ落ちるほどに燃え尽きていて、その焼跡は猛火による惨状を道ゆく人たちに知らしめている。

 時々は信者の方たちがお世話をしていたらしいが、なにぶん不自由な体での一人暮らしだ。失火の原因を突きとめたところで、死に至った老人の哀れさはどうしようもない。

 元旦に新しく作りなおされた分教会の表示板が、煤ひとつつけずに残っている。炎が玄関にだけ及ばなかったのだ。真新しく削られた木の肌と墨汁で書かれた教会の文字だけが、黒焦げになった屋敷の前でぽつりと立っている。

 彼は炎に包まれたとき、何を思っていたのだろうか? ひとりの孤独な老人の死は、神さまがお迎えになったものだろうか? 私はその老人のことを全く知らなかった。