パキスタン
南アジアのイスラム教共和国。
国民の85パーセントがイスラム教徒で
イスラム教によって立国するところから
パキスタン(清浄な国)と、みずからをよんだ。

1971年までのこの国は、
イスラム教と対立するヒンズー教の国インドをはさんで、
二つの地域が東西に1600キロも遠く離れていた。
東と西は民族、言語、慣習、気象、地勢、産業構造を異にし、
共通点はただ一つ、宗教(イスラム教)だけだった。

1971年に東から独立した国はバングラディシュである。
パキスタンの独立は1947年だが、
東住民の抵抗はその翌年から始まっていた。
西側が常に主導権を握り、
東への経済的搾取、社会的な差別、軍事的な弾圧は、
西と東が一つの国を構成しているとは考えられないほど甚だしかった。
この二つの異質な地域を国としてつないできたのはイスラム教だったが、
西の軍隊のイスラム教教徒が東住民のイスラム教徒を公然と迫害し、殺傷することによって、
パキスタンのイスラム教は民族統合への役割を失った。

インドパキスタンの戦争は、さらにこれを確認する結果となり、
ついにパキスタンは1971年に東パキスタンを失うこととなった。

戦禍のあとに誕生した国家、バングラディシュは
内戦中、1000万人の難民を生み、
多くの人々が、特に子供たちが戦争の犠牲となって、
飢えと疫病で死んでいった。
死の寸前の飢え細った子供の体は、
眼が飛び出し、あばら骨が見え、下腹が異様に膨らんでいた。

あの悲惨さは今のアフガニスタンの非ではなかった。
現在のように難民を助けようという状況に世界はなかった。
あの時代は世界中がもっともっと飢えていたからだ。

ほとんどが西欧の植民地だったアフリカが
中東よりは平和なのが不思議だ。
古い地図を見てみると、独立していた国は、
地中海に面した国と、エチオピアと、南アフリカほどしか見当たらないのだ。
南アフリカは世界で名だたるアパルトヘイトの国だった。
アフリカ大陸の国々は、世界史上最も欧米に搾取され、虐待を受けてきている。

僕にはわからない。
キリスト教もイスラム教もヒンズー教も仏教も
清浄なる国の意味もわからない。